Kenの漫画読み日記。

餅賢次の新旧漫画情報と懐古(郷愁)他雑感

入れ墨

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○知人男性の顔に「バカ」入れ墨 3容疑者を逮捕監禁・傷害起訴


 

       知人男性を監禁し、ほおに「バカ」の文字の入れ墨をしたなどとして、青森地検は6日、六ケ所村倉内笹崎、無職、樋口竜馬容疑者(20)を逮捕監禁や傷害などの罪で青森地裁に起訴した。また、共謀したとされる八戸市市川町下大谷地、建設作業員、山田大輔容疑者(25)と無職の少年(19)も逮捕監禁などの罪で起訴した。いずれも起訴内容を認めているという。


 起訴状などによると、3人は昨年12月10日午後2時半~同5時40分ごろ、交流関係のトラブルなどから知人男性を自宅から連れ出し、樋口被告方などで監禁し、顔を殴るなどしたとされる。樋口被告はさらに、男性の左ほおを縫い針で傷付けて墨を入れ、直径数センチ大の「バカ」の文字の入れ墨をしたとされる。

 

















 

 悪ふざけにも程がある、というニュースですが、これもれっきとした人権侵害ですね。まあ、監禁、暴行、傷害の犯罪ですけど。入れ墨が美容整形等の施術で消えれば良いですけどね。馬鹿な悪いヤツは何処にも居ますね。こういうヤツラはイスラエル攻撃のパレスチナ・ガザ地区なんかに連れて行ったら、泣いて小便漏らすんでしょうね。平和な社会の中で精一杯不良をやる‥、という感じですね。小さな不良たちは同類で群れて行き、群れて人数がある程度出来ると、嫌なムードが発生する。いきがったワルのムードの中で、雰囲気的に悪ふざけぽく、イージーに、不良行為をやろうという気運になる。不良行為とは取りも直さず、犯罪行為そのものなんだけど。


 若いときってヒロイズムですからね。ヒロイズムに飲み込まれて、結局、客観的に見てないんですよね。客観的に見れなくて、自分たちを俯瞰して見れなくて、ヒロイズムに没頭する。その先に取り返しの着かない将来が待っていたりする。若さの渦中に居ると、「カッコイイ!」が実は「馬鹿」や、さらに「大馬鹿」だったりするのが、全然見えないんですよね。解らない。だから、ある程度の年齢に達すると、「昔は馬鹿な真似ばっかりしていた」と猛省したり、後悔する。気づいたときにはたいてい遅過ぎる。手遅れ。


 1960年代後半の小学生だった僕は、クラスメートのワルガキ仲間の家で、どっちかっつーと不良の方だったと思う、そのクラスメートの中学生の姉ちゃんの男友達が遊びに来ていて、子供ばかりで1円5円の低低レートで賭け花札をしていて、それが飽きると、男子中学生の一人が自分の二の腕辺りに入れ墨を彫り始めた。大人が留守をしていて小中学生の子供ばかりで数人だった。クラスメートの姉ちゃんが「やめて、やめて」と止めていたが、男子中学生はいきがって、何だったんだろう、太い針か錐か、彫刻刀のようなものか、傷を作っては青色インクを沁み込ませていた。おとなしい子供だった僕は、その作業をじっと見ていた。数十年前のこのシーンを急に今、思い出した。


 また小学生の頃、田舎の町の大きな銭湯に行って、でっかい浴槽で泳いでいたら、入れ墨を入れた爺さんにいきなりアタマを殴られて怒鳴られ、泣きそうになった。入れ墨ということで、そのシーンも思い出した。


 江戸時代の頃はヤクザばかりが入れ墨(刺青)を入れていた訳ではなく、普通の町民でも、何というか、男のエンブレムというのか、「男の象徴」みたいな意味で入れ墨を割りと簡単に入れていたみたいですね。そーいう話を、昔読んだ本に書いていたような気がする。「俺は男だ」という象徴で、粋(イキ)とか、ある種、おしゃれの世界でしょうね。当時の若い町娘たちもカッコイイ!と思ったのかも知れない。


 よく、TVのニュース・ワイドショーのドキュメンタリー特集なんかで、若いときに入れた入れ墨を後悔し、美容整形に通う女性たちを映し出してますが、10代末とかヤングの頃、いきがって入れ墨を入れてみたものの、20代半ばに入って、結婚して子供が出来たり、ちゃんと就職してみたりして、入れ墨が大きなリスクであったことに気づく。普通一般の社会・世の中は入れ墨を受け入れない。子供を連れて行った団地の公園で、子供の進学で、就職先の会社や職場で、いろいろな場所で大きなリスクとなる。慌てて消し去りに病院へ行くが、美容整形は高額で長く掛かり、どうしても痕は残る。最悪だと苦悩する。後の祭り、大後悔。男性でも似たようなものでしょう。


 TVで見る人気歌手なんかで、タトゥーとして入れ墨がある人が居ますが、あれはシールか何かなんですかね?外国のミュージシャンやプロ格闘家には本当に刺青を入れている人は多いようですが。まあ、彼らはプロのショーマンですからね。


 人は必ず心境が移り変わり行く生き物ですから、後で修正が効くものでないと駄目ですね。そのとき、どんなに固く強く決心した何事か思いがあったとしても、人の心、考えは必ず変わって行きます。それが成長だろうが何だろうが、それからの経験・体験と出会いと年齢・加齢で。人の心(考え)は変わる。変わり行く。


 入れ墨(刺青)って、一つの「強さ」を象徴させているんでしょ。「強さ」を自分の生身に彫り込んで決して消えない「強さ」を表わしているんでしょ。ある意味。でも、そんな「強さ」は本当の強さではない、と断言できるような気がする。


 僕はね、実はもうホント小さい頃から、自分は強くない、ってよく解っていた。だから、幾つになっても、強くなりたい、強くなりたいって思っていた。大人になっても、もうずうーっと強くなりたい、強くなりたいって思って来た。どうしたら強くなれるのか。そればかり模索して来た。でも結局、強くなれなかった。


 で、年取った今思うに、強さって、真面目さですよ。真面目さに適う強さはないね。


 目標を定めたら、それに向かって、一歩づつでも良いから、とにかく、諦めず、投げ出さず、折れず、飽きないで(これけっこう重大)、最後まで止めずに続けて行く、ということが出来る人、目標に向かって、こつこつとでも前に進んで行ける人ですね。これが一番強い人間です。入れ墨入れたって、この精神は養えません。真面目に勝てる強さはないです。


 小学生の頃、ワルガキ仲間の中に居た僕は、ときどき、真面目な子をイジメルこともありましたが、今はあのときの真面目な子に土下座して謝りたいです。実は君らの方が強かったんだと。