Kenの漫画読み日記。

餅賢次の新旧漫画情報と懐古(郷愁)他雑感

伊賀の影丸

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 横山光輝先生生誕90周年記念電子出版 SELECTED WORKS ということで、戦後昭和漫画文化の黎明期に、“神様”手塚治虫先生らと共に日本の漫画文化を開花させた幾多のレジェンド漫画家の内の、大家の一人、横山光輝先生の昭和時代の漫画史に残る数々の名作が、2025年2月から電子書籍出版で開始されまして、その中に「鉄人28号」と共に漫画家-横山光輝の名を一躍有名にした、当時の超人気児童漫画作品「伊賀の影丸」も電子書籍として発行されました。


 「伊賀の影丸」は、1959(昭和34)年に日本で初めて創刊された児童漫画週刊誌、週刊少年マガジンと週刊少年サンデーの、小学館発行のサンデーの方に1961年から連載されました。サンデー誕生から間もない時代の看板漫画として、当時は爆発的人気を得ました。




 僕が生まれて初めて週刊少年サンデーを読んだのは、多分、1963年のゴールデンウィーク頃です。このとき初めて「伊賀の影丸」を読みました。多分、このときカッコ良い忍者アクション漫画「伊賀の影丸」に魅了されたんだと思います。


 「伊賀の影丸」の第3部「闇一族の巻」は週刊少年サンデー63年第20号から始まりました。僕が初めて読んだ影丸のお話は、この「闇一族の巻」の最初の方なんじゃないかな、と思います。週刊児童漫画誌の20号はだいたい4月後半から5月初旬の発売ですから。「闇一族の巻」の前は影丸は「由井正雪の巻」で、当時のサンデー連載の「伊賀の影丸」は確か、一つのお話が完結したら新しいお話が始まるまで何週か開けたんですよね。何週かの休載。




 ちなみに僕は当時は影丸の「由井正雪の巻」は読んでいないけど、後々、コミックス版で「由井正雪の巻」もその前の第一話「若葉城の巻」も読みました。だいぶ後になってだと思うけど何歳頃かははっきりしません。


 週刊少年サンデー誌上で「伊賀の影丸」はだいたい、連載最後まで読んでますが、1966年まで続いた連載の前半は飛び飛び読みになってるかな。63年の5月以前は連載では読んでないし。




 この間、電子書籍で「伊賀の影丸」の5巻「闇一族の巻」上編と6巻「闇一族の巻」下編を読み、続けて7巻の「七つの影法師」まで読みました。「伊賀の影丸」の新連載からのお話、第一話の「若葉城」から「闇一族」までは上·下巻2冊構成だけど、7巻の「七つの影法師」から最終話の12巻「影丸旅日記」までは1巻一話の1冊構成ですね。電子書籍の巻数構成で、過去、何十年の間には各出版社から「伊賀の影丸」はいろいろな形で単行本=コミックスが何種類も何度も出版されて来てますからね。60年代前半は貸本にもなってたし。


 僕は何十年の間には「伊賀の影丸」は全編読んでると思うのですが、ひょっとしたら読んでないお話もあるのかも知れません。7歳時、初めて読んだ「伊賀の影丸」で、やっぱり「闇一族の巻」が一番印象に残っていて、だから「闇一族の巻」はいろいろなコミックスで何度も読み返してます。「七つの影法師の巻」も違うコミックス版で4回くらいは読み返してると思う。最終話近くは読んでるかどうかあんまり自信がないな。まぁ、だいたい全編読んでるとは思うのだけど。



 「闇一族の巻」はだいたいおおざっぱにイメージ的にお話を覚えていたけれど、今回電子書籍で読み返して詳細を、あぁ、こういう話だった、と確認した。忍者アクション漫画「伊賀の影丸」の醍醐味は何てったって、影丸及び味方忍者チーム対敵忍者チームのトーナメント戦みたいな忍術合戦ですね。幕府隠密の影丸ら派遣された5~8人くらいの幕府伊賀忍者が同人数の対敵の“悪”の忍者チームと、だいたい基本1対1で得意の忍法を披露しながら戦って行く。ときには1対2や1対3もあるけど。


 サンデー連載時は、連載回の扉裏に味方チームと敵チームの各忍者の顔と名前と倒されてたら✕しるしが付けられていた。最後には敵忍者チームは全滅し、味方チームは主人公の影丸だけか、影丸の仲間の隠密忍者が1人か2人だけ残る。


 敵の“悪”の忍者郡は5~7人くらいの秘術を使う幹部忍者の下に、「仮面ライダー」のショッカーの戦闘員みたいな、こう言っては失礼だが無数のザコ忍者が居ることが多い。


 「七つの影法師の巻」は完全な忍者集団チーム対抗戦のお話だけど。




 「闇一族の巻」のお話の内容は、山城の国で一揆が起こり、代官屋敷が一揆農民の襲撃に合い、代官屋敷が壊滅されて屋敷が焼き払われた、と幕府隠密の長官-服部半蔵の耳に入る。半蔵は配下の伊賀忍者を数名調査に出すが、戻って来たのはたった1人で瀕死の状態で半蔵に情報を告げるとこと切れる。


 農民主体の一揆が実は裏側に“闇一族”なる忍者集団の暗躍がある、と知った半蔵は配下の伊賀忍者でもとびきり優秀な影丸を呼び、毒薬を使う秘術を得意とする伊賀忍者の一家、村雨兄弟五人を仲間として連れだって、さらに山城の国の調査に出向けと指令する。影丸も村雨兄弟も闇一族の名を聞いて驚き身を引き締める。




 そこから個別に山城の国へ向かう影丸と村雨兄弟と、闇一族の超能力のごとき秘術を使う各忍者たちとのトーナメントのような殺し合いが始まり、お互い秘術を尽くして戦い、1人また1人と仲間を失い、最後は闇一族も頭領まで討たれ、影丸チームも村雨兄弟は2人しか残らない。


 影丸と村雨兄弟の探りにより、闇一族のバックには尾張徳川家がいることが解った。尾張は徳川将軍家の分家、御三家の筆頭の武家であり、徳川将軍家とは仲が悪い。つまり今回の農民一揆偽装-代官屋敷襲撃事件は尾張徳川が闇一族を使って行わせた、将軍家への嫌がらせということだった。この一件は数多くの双方の忍者が死んだが、老中までの報告で終わり、将軍には伝えず闇に葬った。




 この物語の舞台となる山城の国とは何処か調べたら、実際に昔の地名であり、今の京都府南部の一帯で平安遷都後からあるという随分古くからの地名です。“山城の国一揆”は実際にあった史実で、時代は15世紀-室町幕府時代で応仁の乱の後です。「伊賀の影丸」の舞台の時代設定は江戸幕府の、多分、徳川三代~五代将軍時代ですね。“由井正雪の乱”がエピソードにありますから、由井正雪は徳川四代将軍時代ですからね。史実の山城の国一揆と「影丸」のお話の中の山城の国一揆は別物です。


 「伊賀の影丸」の主人公、影丸の得意ワザは“木の葉隠れの術”で、姿を消すときに何処からか吹き出した無数の葉っぱを自分の身体の周りに舞い散らせて、身を隠す。あるいは無数の葉っぱに眠り薬や毒薬が仕掛けてあって、敵忍者の身体に葉っぱが触れると敵がダメージを受ける。もう一つが“木の葉火燐の術”でこっちは無数の葉っぱが舞いながら一緒に炎も舞い、敵や敵の足元や周囲が炎に包まれる。




 小学校二年生のとき、クラスの友達と「伊賀の影丸」の話をしてて、7歳の僕はまだ漫画絵がヘタクソだったけど、ウチの兄貴は7つ年下の弟の僕に何でも自慢話ばっかりしてて、その内の一つで「伊賀の影丸の顔の絵も上手に描ける」ということも言っていて、幼い僕は信じてて、僕はクラスの友達何人かに「ウチの兄貴は伊賀の影丸をそっくりに描ける」と断言した。「じゃあ兄さんに描いて貰って持って来て見せてみろ」になって、家で兄貴に「伊賀の影丸を描いてくれ」と頼むと、実際描けなくて、兄貴は少年サンデー連載の「伊賀の影丸」の扉絵の影丸アップを紙で写した。上からなぞり描き(トレース)ですね。僕は呆気に取られたが何も言えなくて、そのトレース絵を翌日学校に持って行った。


 勿論、友達にはなぞり描きだと直ぐバレた。僕は必死でトレースではなくて見て模写したんだとウソの力説したが、友達はなぞり描きだと断定して覆らなかった。まぁ、僕の方がウソで見破られただけなんだけど。ウチの兄貴はホラ吹きで、兄貴のホラを信じて小学生時分の僕は学校で兄貴の言ったこと吹聴して随分被害にあった。小学生でも賢いクラスメートはホラ話を見破ってたからね。




 兄貴のホラはいっぱいあるんだけど、今でもよく覚えてる印象的なものは「しょうゆはクジラの血液だ」というヤツ。これも学校で話して嘲笑われた。僕は本当に醤油は鯨血だと信じてた。しょうゆが大豆から作ると知ったのは中一くらいじゃないかなぁ。あとは、駆けっこの遅かった小学生の僕は兄貴の「イカの足を食べ続けると足が速くなる」というのを信じ込んで、ゲソばかり食べてた時期もある。勿論、駆けっこはずーっと遅いまんまだった。


 僕の高校生くらいまでは兄貴のことは信じていたかも。また小学生時代の兄貴の思い出ですが、僕の小学生~中学生時代、ウチの親父は、電力会社の電業所の身分的には所長みたいなポジションに居て、電業所ってぎょうぎょうしい名前ですが、僕の故郷の市郡の一つの大きな営業所の下に、何ヵ所か各地に電業所があって、僕の故郷は僕の小学生時代までは石炭で栄えた炭鉱都市で、親父の所長職身分の電業所は規模的には一番大きな電業所だったのかな。




 まぁ、その電力会社の営業所のソフトボール大会がある日、営業所近くの中学校のグランド借りて行われた。兄貴がまだ高校生だったと思うから、7つ年下の僕は8歳から10歳くらいまでの間の年齢か。小学生当時、僕は毎月、光文社の月刊誌「少年」を購読していた。雑誌「少年」の中の看板漫画の一つに関谷ひさし氏作画の「ストップにいちゃん」があり、主人公の中学生がベースは野球部キャプテンだが、スポーツ万能で“五中のスーパーマン”という愛称だった。


 ウチの兄貴は小学生の僕にいつも、自分は「ストップにいちゃん」の主人公“五中のスーパーマン”南郷勇一のようにスポーツ万能でヒーローなんだと自慢してた。小学生の僕はそれを信じていて通っている中学校のヒーローなんだと思い込んでいた。




 そのある日の親父の職場のソフトボール大会で、親父の顔を立てたのか、親父の息子の兄貴を特別に代打器用してくれた。高一か高二くらいの兄貴が代打で出て、僕は兄貴のいつもの自慢話を信じていたからホームランをかっ飛ばすと思って見ていた。ちなみに傷痍軍人である親父はソフトボールの選手では出てなかったが応援団として楽しそうに声を出して観戦してた。当時の親父は、戦争で足を悪くしていて片目が見えず片耳聞こえずの障害者だったが、仕事で電信柱や屋根に登り、自動二輪のバイクに乗っていた。


 代打の兄貴は僕の期待を裏切って内野安打級のゴロだった。セカンド守ってたオジサンが取れずにゴロがセンター方向に抜けたんだと思う。兄貴のホラを信じてた僕は「あれ?」と思った。この思い出もずーっと記憶してるなぁ。60年くらい前の記憶だけど。


 「伊賀の影丸」というとこの兄貴のホラ吹きぶりを思い出すんだよねぇ。昔の電力会社時代の親父は会社のイベント好きで、飲み会でも慰安旅行でも海水浴でも何でも会社のイベントには必ず参加していていつも楽しそうに騒いでいた。親父は社交的で人とワイワイやるのが好きな人だったな。




 「伊賀の影丸」というともう一つの思い出は、前に一度書き込んでるけど、小学生当時住んでた家の裏庭の板塀に沿って、というか、会社の倉庫の裏から住み家の横へと屋敷を囲む板塀に沿って、塀の裏側に並んで垣根様に柴の植木が植えてあって、生垣っていうのかな、この柴の低木の生い茂る無数の葉っぱが、伊賀の影丸の得意の忍術の“木の葉隠れの術”の無数の葉っぱに調度良くて、僕はナイロン袋に柴の葉っぱをいっぱい入れて、幼なじみの同級生FT君の家の前の道路まで行った。FT君家には同じく幼なじみで同級生のMM君と弟が居て、FT君の弟も居た。


 僕は、FT君家の二階の窓から見てる4人の前で、ベランダから見てたのかも知れない、まぁ、4人の前で袋から片手で花咲か爺さんみたいにパアーッと柴の葉を自分の頭上に舞い上げた。そして直ぐに横の電信柱に自分の身を隠して、“木の葉隠れの術”を使って見せた。



 

 4人は僕の行為に馬鹿にしてゲラゲラ笑った。この僕の白痴的な行為も「伊賀の影丸」つながりでよく覚えてる思い出だ。まぁ、小学校三年生くらいの頃だからな。「伊賀の影丸」の週刊少年サンデー連載終了が1966年の第39号だから、連載は66年の夏場か初秋頃までかな。僕の5歳時から11歳時までの連載期間でサンデー誌上で読んだのは7歳から11歳までか。サンデー、1966年の45号からは同作者の「仮面の忍者 赤影」が始まる。連載当初のタイトルは「飛弾の赤影」だった。


 僕の小学生時代は世の中では忍者ブームで“忍者”は大人気だった。テレビ時代劇の「隠密剣士」、映画の「忍びの者」、そして「伊賀の影丸」他、少年雑誌の忍者漫画。忍者漫画は各誌に掲載されていっぱいありましたね。僕も小学生時代は独り遊びで、独り芝居の忍者ごっこしたり鉛筆殴り書きの忍者漫画描いて楽しんでた。友達と忍者ごっこしてたかどうかは記憶にないなぁ。



 「伊賀の影丸」は1963年7月に松方弘樹さん主演で劇場版映画になってるらしいけど、これは僕は長い間知らなかったし、当然見たことない。1963年11月からテレビで、人形劇版の「伊賀の影丸」を一年間放送していて、これは7歳~8歳当時の僕は見てた。♪かげ~ハッ、かげ~ハッ… という主題歌の一部は今でも覚えている。♪伊賀の影丸、影丸がゆく~ という歌だった。人形劇は上から吊るして操る人形だったかな?下から棒で動かすものか?よく解りませんが毎週見てたけど放送の後半は見てなかったかも。


伊賀の影丸-闇一族の巻(上)


伊賀の影丸-闇一族の巻(下)



●漫画・・ 「影狩り」 - Kenの漫画読み日記。