七色仮面


漫画版「七色仮面」の雑誌連載は講談社の月刊誌「ぼくら」の1959年7月号から1960年9月号までの期間です。僕の3歳から4歳の間になり、僕が漫画というものを読み始めたのが1962年の暮れぐらいの6歳当時からですから、僕はリアルタイムで漫画版「七色仮面」を読んだことはありません。

僕が漫画版「七色仮面」を読んだのは、後々大人になってから、当時発行された懐かしの漫画特集本みたいなグラフ雑誌やムック本などで断片断片を見たり、その後発行された文庫本の懐かしの漫画全集みたいな漫画本で十数ページ収録されてるものを読んだ程度です。一峰大二先生の漫画版は一部しか見たり読んだりしてません。

講談社の雑誌「ぼくら」の連載では、一峰大二先生の作品は「七色仮面」が1960年9月号まで掲載されてますが、後続の連載作品「ナショナルキッド」が1960年7月号より連載開始されてます。「ナショナルキッド」は1961年12月号まで続いています。一峰大二先生は雑誌「ぼくら」誌上で60年7、8、9月号とテレビヒーロー漫画を二作品描いてたんですね。

僕が月刊誌「ぼくら」を読み始めたのは1963年に入ってからなので、連載中の「ナショナルキッド」は読んだことはありません。けど、後々大人になって、青年時、新書判コミックスで1巻だけを購読し、もう50を過ぎた年齢でマンガショップ刊行の完全版「ナショナルキッド」全3巻で、「ナショナルキッド」は全編読んでます。
漫画版「七色仮面」は前述どおり、幾つもの表紙絵やカット絵を見て、連載作品の切り抜き16ページくらいを読んだだけです。

「七色仮面」も一峰大二先生作画の漫画版はマンガショップの完全版で刊行されてますが僕は読んでいません。
テレビ実写特撮の「ナショナルキッド」は初出オリジナル放送を当時4歳から5歳の僕は見ていて記憶にありますが、「七色仮面」のテレビ放送は再放送でしか見ていません。

テレビで実写特撮「七色仮面」の再放送を見ていた折り、僕が7歳になって間もない頃ですが、幼児域の僕が勧善懲悪ヒーロードラマ「七色仮面」に魅せられて、ドラマオープニングのタイトルバックに「講談社『ぼくら』掲載」とあったので、再放送のその回終了と同時に当時の月刊少年誌代160円握り締めて、近くのアーケード商店街まで走って行き、買って帰って来た月刊誌「ぼくら」には「七色仮面」は載っていなかった。
そのとき買った「ぼくら」は1963年3月号で、テレビ「七色仮面」はオリジナル初放送1959年6月~60年6月に放送されたものの再放送分だから、コミカライズ連載はとっくに終了してました。

買って来た「ぼくら」の内容にはガックリ来たけど、山根あかおにさんの「よたろうくん」にはゲラゲラ笑い転げたのを覚えている。その時期の「ぼくら」には僕の大好きな勧善懲悪ヒーロー漫画が載っていなかった。
ちなみに当時住んでた家の近くのアーケード商店街は、ひょっとしたらまだアーケード屋根が掛かってなかったかも。僕の幼少期にその商店街にアーケード屋根が掛かったんだけど、いつ頃だったかははっきり覚えていない。

僕の幼少期、住んでる地域のお祭りに行くと、当時は市郡の人口も今の倍以上多くて、感じだと人口は今の3倍くらいいたんじゃないかと思うほどで、若い人口も多かったので、祭りは本当に盛況で活気があって賑やかだった。
その祭りは何十年経った今も変わらず年に一度続いているが、市街地の道路両脇の香具師の出店が今とは比べ物にならないくらい多かった。今は香具師の出店が並ぶ通りは限られてるが、昔は祭りの中心地から離れた通りまで、香具師の出店がダーッと並んで続いていた。

当時の僕の住んでる家は商店街の並びにあったので、僕の家の前にも、風船ヨーヨー釣りや金魚すくいや射的などの出店が並んでた。
子供の頃の香具師の出店の中に、セルロイドでできたお面を並べて売ってる店もあった。だいたい当時のモノクロテレビの子供向け番組の主人公の顔のお面だ。
鉄人28号、鉄腕アトム、月光仮面、とんま天狗等々の並びに七色仮面のセルロイドお面が掛けてあった。セルロイドお面は直ぐに割れてしまう貧弱なものだった。けど6歳~8歳頃の僕はもう「七色仮面」のお面が欲しくて欲しくてたまらなかった。

当時のお祭りで僕が七色仮面のお面を買ったかどうかもう覚えてない。お祭りに行くときは母親が幾らか小遣いをくれたので、どれかテレビのヒーローのお面を買ったかも知れない。ゴムで頭に掛けるヤツだったが本当に直ぐに割れて使えなくなっていた。
小学校も中学年の三、四年生になると、当時、僕たちの町では“銀ダマ鉄砲”って呼ばれてた、小さな小さな銀色の弾がバネ仕掛けで飛び出る、連発式のコルト型のプラスチック製オモチャ銃で近所の子供たちで撃ち合いしてたけど、小学校低学年の頃までは紐の付いたコルク弾銃だったな。ブリキ製の、見るからに子供のオモチャのヤツ。
僕の家は当時の商店街に並んでて家の斜め前は映画館で、友達数名で映画館に入ったものの映画見なくて銀ダマ鉄砲の撃ち合いしてたの覚えてる。何の映画だったのか、館内で走り回ってて怒られたのか、昔々の記憶で覚えてないけど。

テレビドラマの「七色仮面」には憧れてましたねぇ。子供の頃は気持ち的にはメチャメチャ“なりたかった”ヒーローでした。子供の頃見たドラマでは、なかなか七色仮面は登場しないんですよね。ドラマの中で多分、本当は七色仮面である筈の普通の私立探偵のオジサンは毎回出てるんですが、オジサンは変身もしないし七色仮面登場しない。放送第7回目くらいでようやく七色仮面が登場するのかな。
まぁ、七色仮面自身はそのヒーロー特徴からさまざまな人たちに変装している。だから七色仮面本体登場の前に例えば謎のアラビア人や中国人とか道路に座るいわゆる乞食とかに変装して既に登場はしている。いざ本体=七色仮面が登場したら二挺拳銃バンバン撃って、決して犯人を殺さず神出鬼没でメチャメチャ強い。そこがメッチャ、カッコ良い。
♪解けない謎をさらりと解いて この世に仇なす者たちを デンデントロリコやっつけろ デンデントロリコやっつけろ 七つの顔のおじさんの 本当の顔はどれでしょう?
という番組冒頭のテーマソング、七色仮面の歌 も好きだったなぁ。子供の頃はデンデントロリコが何言ってるかよく解らなかったなぁ。子供の頃は多分、でんでんころりと~ と歌ってたんじゃないかな。デンデントロリコってどういう意味か未だに解らないけど。

連続テレビ実写ドラマ「七色仮面」のオリジナル放送は1959年6月から1960年6月までです。1956年生まれの僕が3歳から4歳のときで、僕が「七色仮面」オリジナル放送を見た記憶はありません。多分、見てないか、見てもただボーッと見てただけで記憶に残らなかったか。
僕が「七色仮面」の実写ドラマを見て仮面ヒーローに憧れまくった、というのは「七色仮面」の再放送を見て、ですね。オリジナルの和製ヒーローものを見た最古の記憶というか、一番昔に覚えてるのは実写「ナショナルキッド」ですね。僕の4歳~5歳時です。

多分、七色仮面の正体であろう私立探偵の主人公役が波島進さんだったときの放送は覚えてるのですが、途中からタイトルを「新 七色仮面」に変えて主人公の探偵役を千葉真一さんに代わってからの放送は記憶してないですね。再放送でも見た記憶がない。
千葉真一さんといえば当時は「アラーの使者」だったなぁ。「アラーの使者」のオリジナル放送は1960年7月から12月までか。だいたい「ナショナルキッド」と同時期の放送ですね。「アラーの使者」見たのは何となく記憶してる。

千葉真一さんは1960年6月で「新 七色仮面」を終えて7月から新たに「アラーの使者」の主役になって撮影仕事してたんですね。
1992年12月公開のコメディ·アクション映画「七人のオタク cult seven」の中で、登場人物のオタクの1人、フィギュアオタク役の益岡徹さんが、オタクチーム参加のときいつも「七色仮面」のお面を被っていたのは印象的で、今でも覚えています。
「七色仮面」は本当に懐かしいですね。はるか昔、幼少期を思い出す。

七色仮面【上】 コミック – 川内康範 (著), 一峰大二 (著)
七色仮面【中】 (マンガショップシリーズ 354) コミック – 川内康範 (著), 一峰大二 (著)
七色仮面【下】 (マンガショップシリーズ 355) コミック – 川内康範 (著), 一峰大二 (著)
●漫画・・ 「ナショナルキッド」 - Kenの漫画読み日記。
●漫画・・ 「ミサイルマン・マミー」 - Kenの漫画読み日記。
「愛の戦士 レインボーマン」-原作·川内康範 作画·小島利明- - Kenの漫画読み日記。
「キングコング」「ミスター巨人」-伊東章夫- - Kenの漫画読み日記。
「鉄腕マキ」-一峰大二 1962年- - Kenの漫画読み日記。
上記の記事文章で僕の幼少期に当時の住まいの近くのアーケード商店街がまだ屋根がなくて、幼少期いつ頃か屋根が掛かったという話を書いてますが、僕がまだ小学校一年生時だと思う子供のときに、まだアーケード屋根の掛かる前の商店街の通りを何度か往き来した記憶がありますが、その通りの真ん中へんに「スマートボール」という大人向けの遊技場があったのを思い出しました。
「七色仮面」とは全く関係のない話ですが、スマートボールという遊技場があって、子供ながらドアを開けて店内を覗いた記憶があります。そのとき、スマートボールがどういう遊戯で店内の大人たちがどういうふうに遊んでいたのかは全く覚えていません。ただ店内は遊戯客の大人たちで満員だったように漠然と記憶しています。
店内は女性店員(スタッフ)の声で「3列48番」とか独特のアクセント(イントネーション)で放送されていたのは覚えています。ゲームの内容が解らないので、その放送されてた番号の意味など全く解りませんが。この女性の声は店の外の通りまで聞こえてました。
当時は子供ごころにパチンコの親戚みたいなもんだろうな、くらいに認識してたんだと思います。
で、この商店街の通りにあったスマートボール屋の店舗は、商店街にアーケード屋根が掛かってからなくなりました。
大人になって随分経ってスマートボールというものを思い出して、何だったのか?と調べて見ました。
スマートボールの機械はピンボールマシンそっくりでよく似たゲームなんですね。ピンボールとパチンコの合いの子みたいな機械で、ピンボールみたいに打ち出す玉はパチンコ玉よりずっと大きい。
パチンコとよく似た遊び方だったみたいですね。勿論、時代的に手動式です。当時はパチンコだって手動式だったし。
「スマートボール」が流行したのは1950年代から60年代前半で60年代も後半に入ると大人の遊戯としては廃れたようですね。僕も僕の幼少時にこの商店街のスマートボール屋一軒見たきりだし。あとは見たことありません。
「七色仮面」とは全然関係ない話ですが、昔々の商店街の通りのことを書いて、1962、63年頃のアーケード屋根のない商店街通りの真ん中へんにあったスマートボール屋のことを思い出したので、スマートボールのことを書いて見ました。ただ懐かしいだけの話です。
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