Kenの漫画読み日記。

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アメリカンニューシネマ

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○<訃報>ポール・ニューマンさん死去「明日に向って撃て!」


 

        AP通信によると、映画「明日に向って撃て!」や「スティング」などで知られる米映画界を代表する俳優の一人、ポール・ニューマンさんが26日、がんのため死去した。83歳だった。

 オハイオ州でスポーツ用品店を営む裕福な家庭に生まれ、母親の勧めで児童演劇団に入団した。第二次世界大戦中には海軍に入隊し、除隊後、大学を経て俳優養成所で演技を学んだ。1953年にブロードウェーの舞台でデビューし、55年の「銀の盃(さかずき)」で映画デビュー。一時テレビに活動の場を移すが、実在のボクサーを演じた56年の「傷だらけの栄光」の迫真の演技で注目された。男らしくセクシーな正統派の二枚目であると同時に、反抗心を秘めた危険な香りも漂わせ、複雑な感情を巧みに表現する演技派としても重用された。

 「ハスラー」(61年)、「明日に向って撃て!」(69年)、「スティング」(73年)、「タワーリング・インフェルノ」(74年)など次々と話題作に出演しスターの地位を固めた。68年には「レーチェル・レーチェル」を監督し、アカデミー賞候補になった。「スクープ・悪意の不在」(81年)、「評決」(82年)など社会派作品でも重厚な演技を見せた。何度もアカデミー賞候補になりながら受賞には縁がなかったが、86年「ハスラー2」で主演男優賞を受賞した。

 一方で、ベトナム戦争反対や反核運動に参加するなど、社会的活動にも積極的に取り組んだ。自動車のレーサーとしても活躍し、79年のル・マン24時間耐久レースで2位に入賞。82年には食品販売会社を設立し、ドレッシングなどを発売して成功を収めた。私生活では2度目の結婚で、女優のジョアン・ウッドワードさんとおしどり夫婦として知られた。長男のスコットさんも俳優だったが、78年、麻薬中毒で死去したことから麻薬反対活動に資金を提供。事業の利益を寄付するなど、慈善活動にも熱心だった。日本の障害児のためにと毎日新聞社会事業団を通じ、93、94、97年に寄付したことがある。

 最近では脇役で渋い存在感を見せ、05年にテレビドラマ「追憶の街エンパイア・フォールズ」でエミー賞とゴールデン・グローブ賞を受賞。晩年まで活躍したが、07年5月、「満足できるレベルの役者でいられなくなった」と俳優引退を表明した。今年6月、がんで闘病中と報じられていた。

 











 記憶が定かでなくて申し訳ないのだが、確か、何かの本で読んで、ポール・ニューマンさんは実はユダヤ人の家に生まれ、当時はユダヤ人差別が強く有り、俳優になる時、ユダヤ人出身ということを隠す為に、ポール・ニューマンという、いかにもイギリス出身のようなアングロサクソンにありがちな名前にして芸能界に出た、ということが書いてあったように思うが、ただはっきりとした記憶だという確信はない。


 ポール・ニューマンという名前を聞いて僕が真っ先に思い出す映画作品は、勿論、「明日に向かって撃て」だ。キャサリン・ロスがめちゃ美しくて魅力的で、ロバート・レッドフォードはめちゃハンサムなイイ男だった。洒落っ気が有りアタマの良い役回りのポール・ニューマンがまたカッコ良かった。「明日に向かって撃て」は「イージーライダー」や「俺たちに明日はない」と共に、アメリカンニューシネマ時代の代表作と称される名作ですね。



 ポール・ニューマン主演映画はもう一つ、「スティング」も記憶に残る面白い名作だった。69年「明日に向かって撃て」、73年「スティング」だけど、僕が見たのはどっちも都内の名画座で、79年か80年頃だったと思う。それから多分、両作ともTV放映で1、2回は見ていると思う。「スティング」という名作映画で思いつくのは、現在の人気コミックでTV化映画化された「クロサギ」だ。ひょっとしたら時を隔てて、「クロサギ」作者に影響を与えているのかも知れない。


 また若い頃の一時期、僕はハードボイルドに被れ、レイモンド・チャンドラーやダシール・ハメット、サラ・パレッキー等の描く、カッコ良いタフな探偵に憧れていたので、ポール・ニューマンが主演した、ロス・マグドナルドのハードボイルド小説が原作の映画、「動く標的」もよく憶えている。これも66年公開だから、僕が見たのは名画座とかTVの洋画劇場だけど。


 僕が子供の頃や若い頃に憧れた銀幕のスターたちが、いつの間にか白髪や禿頭で皺くちゃの爺さん婆さんになってしまっていて驚くのだが、昭和は終わり、それからもう20年も経ち、昔日の往年のスターたちもみんな、一人また一人と現世を退場して行く。確実に時代は流れ、時代は変わって行っている。寂しいけど、これがこの世の定めなんだなあ。