●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(2)
2.
和也を後ろに乗せた排気量250CCのバイクは、市民総合運動公園の中の通路へと入って行った。野球用とサッカー用の広いグランド二面の他にも、遊具公園や散策用山道など備えた市民公園の敷地面積はかなり広く、公園メイン入口から中央を横断する通路は、楽々大型バス二台が通れるくらいに広い。バイクはメイン通路を滑らかに走って行き、ハンドルを切り、公園内の広い駐車場に滑り込んだ。横手に野球場グランドが見える。
和也は、バイクの後ろの座席に跨がったまま、フルフェイスのヘルメットを両手で持ち上げて脱いだ。義行兄ちゃんのガールフレンドが、いつも被っているヘルメットだという。先にバイクの運転シートから降りた義行は、ヘルメットを被ったままで和也を両手で抱えてバイクから降ろした。和也は、脱いだメットを運転シートに置いていた。
「怖くなかったか?和也」
「ううん、ビュンビュン風を切って行って、気持ち良かったよ、義行兄ちゃん」
「そうか。和也は強いな」
「何ていうバイクなの?」
「ヤマハのセローっていうんだ。本当はもっと大きなバイクに乗りたいんだけどな。まだ大型免許、取ってないからな」
義行は、公園の駐車場の周囲をキョロキョロと見回した。義行は駐車場からすぐそこに見える、野球グランドの方を見やりながら言った。
「さて、と。メットをどうしようかな」
義行はバイクにヘルメットを置いたままにして、盗まれはしないかと心配しているのだ。
「義行兄ちゃん、グランドの横までバイクで行ったら」
「そうだな‥」
高校生の義行は、あまりこの市民運動公園に遊びに来ることがなく、勝手を知らなかった。公園内の設備や通路の配置など、中の案内をよく知らない。数年前、この公園が整備された当初、学校から二度ほど来たことがあるくらいだ。
再び、後ろのシートに乗るように和也に促しながら、熱したマフラーに足が触れないよう注意を言って、バイクに跨がり義行は、すぐ隣の野球用グランドのホーム裏、フェンス脇の通路までバイクを乗り付けた。
グランドの周囲に外灯がぽつぽつとしかない。あたりはもう薄暗くなっている。
「もうかなり陽が落ちて来たな。今にこのへんは、真っ暗くなるぞ。和也。怖くないか?」
義行には少し、和也をからかって脅す気分もあった。
「平気だよ」
和也がきっぱりと答えて見せた。本当は和也は怖かったのだが、公園に連れて行ってくれるよう、義行に頼んだ手前、強がって見せて、そう言った。
「和也。さっき、切り裂き魔に合ったとこ通った時、怖かったろう?」
和也の家から市民公園までの道のりでは、必ずあの、通り魔に襲われた場所を通る。
「いいや。あれからもう何度も、お母さんの車であの場所、通ってるもん」
「そうか。じゃ、大丈夫だな」 と言って、義行はグランド奥に真っ黒い大きな塊のように見える、林の方をじっと見て我ながら、何だか少し緊張気分でいるのを感じた。
陽は見る見る落ちて行き、あたりは暗くなる一方だ。
和也は、全身に恐怖感が走り抜けるような感じを受けて、思わず身震いしていた。しかし、いくら夜になって暗くなったグランドで、これからさらにあの真っ黒い塊に見える、奥の林の中に入って行くとはいえ、義行兄ちゃんと一緒なんだから、と考えることで、緊張して凝固してしまいそうな気持ちを盛り返した。和也は隣に立つ、大きな義行兄ちゃんを見上げていた。
和也は気が付いて言った。
「ここの通りなら野球の練習が終わった後は、人が来ることなんてないからヘルメット、バイクに置いて行っても大丈夫だよ」
「そうみたいだな」
義行は二つのヘルメットをバイクのシートの上に置いた。
「義行兄ちゃん、僕、バットか何か持って来た方が良かったかな?」
「いや、大丈夫だ。和也、俺にまかしとけ」
和也は義行兄ちゃんが頼もしかった。義行兄ちゃんは柔道二段で、高校柔道の県大会でもいつも上位入賞してるくらい強いのだ。実際、義行は上背があり体格が良く、肥満していない筋肉質な姿態は、見るからに強そうにしていた。
義行はペラペラしたリュックサックを取り上げると、中から細長いハンドライトを出した。
「うわあ、長い懐中電灯!」 和也が大袈裟に驚いた。
「おっ、和也。“懐中電灯”なんて言葉、よく知ってるな。これはな、マグライトというんだ」
「うん。お母さんがよく探し物してる時、懐中電灯て呼んでるもん。ウチにあるのはもっとずっと小さい、短いのだよ。そんなすごく長いの初めて見た」
「このマグライトはな、アメリカとかで警察官とかガードマンとかが使ってる、いざとなれば武器にもなるライトなのさ」
義行は自慢気に、持ち手の柄の部分だけで40センチくらいはありそうな、ハンドライトを自分の胸の前にかざして、頭のライト部分を空いた方の掌にぽんぽんと叩いた。
「義行兄ちゃん、カッコいいね!鬼に金棒だね」
「和也、おまえよく、いろんな言葉知ってんなあ。おまえ、学校の成績良いんだろうな」
「そうでもないよ。漫画とか本読んでて知ったんだよ。もう、真っ暗になっちゃったね。そんな ライト持って来るなんて流石、義行兄ちゃん!」
陽はすっかり落ちて夜になってしまった。
「おだてるなよ。よし、行くぞ」
二人は側溝を跨ぎ、道路とグランドの境界柵の、背の短いコンクリート柱で繋いだ鉄パイプ柵を跨ぎ越え、グランド内に入った。目指すは、グランド奥に真っ黒く小山の山脈みたいに見える林の中だ。ここからだと、気分も手伝って、ちょっとした森林にも見える。
グランド周囲にはぽつぽつと外灯が点っているのだが、外野の向こう、グランド奥付近には外灯が立ってなく、ただ真っ暗い。夜空は、ゆるく流れる雲に半月が見え隠れしている。二人の歩く足音がザッザッと砂音を立てる。義行が右手に持ったマグライトのスイッチを入れて点灯し、光を前に向けた。和也は義行のすぐ後ろに着いて歩きながら、昨日の夕方のことを思い出していた。
* *
「あんた、馬鹿じゃないの? 母さんに言われたでしょ。公園の森の中に行っちゃいけないって。駄目、駄目。あたしはあんたと一緒に森の中なんか行かないからね。もう、あんた。あのワンちゃんのことなんて忘れなさい。その内、また出て来るわよ」
姉の愛子が部活を終え、学校から帰って来て、部屋着で寝巻きの、紅いスウェットスーツ上下の姿に着替え終えたところだった。和也はドアノックの後、姉の部屋に相談に来た。和也は、姉に一緒に公園の林の中に、白くて大きな犬を探しに行ってくれないか、と頼みに来たのだ。これで二度目だったが、またもけんもほろろに拒否された。
「もう、あたしはあんな怖い目に合うのは金輪際、御免だから。しばらくはあんまり人通りのないところへは行かないって決めたの。母さんだって、そう言ってるでしょ」
姉は、部活や塾や学校の友達のことでいっぱいで忙しそうだ。和也は、姉の愛子に一緒に行ってもらうのを諦めた。
「何処行くのっ? もうすぐお母さん帰って来るわよ」
「ちょっと、隣のお兄ちゃんのとこ行って来る」
和也は姉の部屋を飛び出しながら叫ぶように行って、階段を駆け下りた。姉が部屋から何か怒鳴っていたが、和也はもう既に玄関まで来ていて、急いでズック靴に足を突っ込んだ。玄関のドアを勢いよく開閉して、家を飛び出した和也は、自分の家の庭に回り込み、すぐ隣の本田家を、間仕切りの低いブロック塀越しに覗いた。積んだブロック塀の、一番上段に嵌め込んだアーチ模様の鉄柵部分に、和也の頭上半分のところが来る。ブロック塀の向こうは、本田家の家庭菜園になっていて、小さな畑がある。畑の向こう、母屋の縁側前の庭では、本田家の長男、高校生の本田義行がバットの素振りをしていた。バットといっても先に錘を着けた、腕の筋力トレーニング用バットだ。通常の野球のフォームで振っていたかと思うと、剣道の竹刀のように縦振りを始めた。
「義行兄ちゃん!」
和也は大きな声で叫んだ。本田義行がこっちを向いて、「おうっ」 と一言、大きな声で応えた。和也はブロック塀に横付けして置いてある木箱の上に乗って、塀を這い上がり、上の鉄棒柵を乗り越えると、畑でも何も植わっていない場所を選んで飛び降りた。転げずにうまく着地すると、畑の間を通って、義行のもとまで駆けて行った。
「どうしたんだ、和也?」
義行は重量バットの素振りを止めて、縁側にタオルを取りに行き汗を拭いた。
「重そうだね」
「ああ。ざっと8キロくらいの重みはあるかな」
「柔道の練習?」
「まあな」
本田義行は地元の県立高校に通っているが、高校柔道の猛者だ。体格も良い。義行は、慌てて塀を乗り越えやって来た、この小さな弟分のただならぬ様子に、訝しげな顔をして訊いた。
「何か用があるのか? 和也」
言い出しにくそうにもじもじしている和也に義行は、重量バットをまた高く持ち上げて言った。
「男ははっきりしないと駄目だぞ。何だよ? 言ってみろよ」
「実はね、義行兄ちゃん。明日なんだけどさ‥」
和也は頼みごとをじわりじわりと話し始めた。バットを縦に一振りして、義行は練習を止め、バットを降ろしたまま和也の話を黙って聞いていた。和也は、二日前の少年野球の練習の時にグランド奥にボールを追って行って、林の中で奇怪なお爺さんと中型犬を見たこと。それが幽霊みたいに消えてしまったことや、その大きなお爺さんを見たことがある、と言っている子供が他にも居ることや、練習後の帰り道で姉の愛子と一緒のところを通り魔に襲われたこと、その時、白い大きな犬が助けてくれて、いつの間にかその犬が消えてしまったことなど、子供ながら順を追って詳細に、義行に話して聞かせた。義行は、隣家の姉弟二人が、近頃町でニュースになっている通り魔に襲われたことは、義行の母親や愛子自身から聞いて知っていたが、犬に助けられたくだりは知らなかった。また、子供たちの間で噂になっているという、運動公園に出没する老人の幽霊の話は初耳だった。
義行は半分冗談話を聞いたように笑いながら、好奇心と、隣家の可愛い弟分の和也に付き合ってやろう、という気持ちから、和也の頼みを承諾した。義行にとって、和也と一緒に夕方の公園の森に入って行くのは、肝試しに行くような、ほとんど遊び気分だった。
こうして和也と約束した義行は、翌日の夕方、少年野球の練習日でない和也が待つ吉川家の玄関前に、高校柔道部の部活を早めに切り上げて、自分の愛車であるヤマハのセロー250に跨って現れた。義行が学校から帰って来るのを今か今かと待っていた和也は、吉川家の玄関前を落ち着きなくうろうろしていた。義行のバイクが現れると、和也は飛んでバイクの前に出た。義行はヘルメットを渡し、それを被ってバイク後ろのシートに乗るように指図する。和也は言われたとおりにして、義行のたくましい胴部分に掴まった。発進したバイクは軽快に住宅地を抜けて、民家の途切れた田畑ばかりの道路に出て行った。
「この辺だろ、和也たちが襲われた場所は?」
運転席から大声で義行が叫んだが、風とエンジン音でよく聞こえなかった。しかし、勘良く、和也はこの前の通り魔に襲われた件だろうと思って、大声で「うーんっ」 と返事をした。義行がまた何か大きな声で叫んだが、今度は何と言っているのか解らなかったので返事しなかった。快速で走り行くバイクは、あっと言う間に、通り魔に襲われたあたりを走り去った。
実は、和也はやはり、通り魔に襲われた場所近くになると、その時の恐怖心が呼び起こされて、背筋を中心に小さな身体全体が、ぶるっと震えたが、両手で掴まっている義行の胴体を、もっと力を入れて抱き締め、今、義行と一緒に居ることを確認すると安心した。
家を出て来る時は、夕方でもまだまだ陽があったのに、市民公園の近くまで来ると、かなり陽が落ちて来ていて、あたりは、そろそろ夕闇が迫って来ようかという感じになった。もう、そんなに掛からないで暗くなってしまうだろう。和也は、ちょっと怖い気持ちも起きて来て不安になったが、義行の胴に回す両腕に力を入れて、義行を再度確認すると、大丈夫だ、と気持ちを盛り立てた。
* *
義行と和也は、人っ子一人のひと気もなく、外灯の明かり以外は真っ暗くて、ことさら寂しい夜のグランドを砂土を踏む音をさせて、グランド奥のこんもりと茂る林へと向かって歩いた。和也は、数歩前を歩く義行を追いながら、今夜ここに来るまでの、これまでのことごとをあれこれ考えていた。林の前で義行が停まった。グランド両サイドに外灯が点っているが、林を前にしたこの地点は真っ暗い。柔道二段、高校柔道県大会上位常連の猛者である、流石の、本田義行も緊張感があって、ちょっとぶるっと武者震いをした。林を覆う闇の不気味さに呑まれそうになったが、気持ちを奮い立たせて果敢に林の中へと踏み出して行った。右手に持ったマグライトの丸い光で前方を照らし、林の中へと進んで行く。和也は怖さに思わず、義行のジャンパーの裾をギュッと握った。
二人は、除草や掃除など整理の全くされていない、林の中の木々の間を、マグライトの光を前方下向きに照らしながら、音を立てて叢を踏みつつ進んだ。数分程歩くと遊歩道に出た。しかし、このあたりは遊歩道でも、散策利用者があまり入って来ない山道である。一応舗装路ではあるが、何年も掃除されていなくて枯葉や泥で覆われていた。
「このへんは、散歩する爺さん婆さんもあんまり入って来ない山道だな。静かだし、真っ暗いな。和也、気を付けろ、泥で足がすべるぞ」
義行に注意を促され、和也は足もとを見ながら気を付けて歩いた。
「あっちの方は明るいよ」
和也が指差す方に、外灯が一本立っていた。
「へえ~、こんなところまで外灯が立ってたんだな。そうか、あそこからもうちょっと行ったら遊歩道のメインロードなんだ。この道は引き込み路みたいになってるんだな。寂しいこっち側の道に、入って来る散歩者はほとんど居ないんだな。だから掃除も整理もされてないし、荒れ放題なんだ」
「犬は見当たらないね。やっぱり、居ないのかなあ‥」
二人は外灯の真下まで来た。すぐそこは遊歩道のメインロードの一角で、きれいに整理が行き届いているようだ。こちら側に一歩入ると大違いである。だが、この時間の市民公園内は何処にも人の気配が感じられない。もう少し遅い時間になれば、若いカップルの自動車が、ここからは離れているが、駐車場あたりに一、二台現れるかも知れない。だが、このあたりの林の中は普段は多分、一日中人が来ることはないのではないか。義行は、外灯の立つ周囲を少しうろうろして、あたりを窺ったが静かなものだった。首を上げ見上げると、上空を木々の葉が真っ黒く覆っている。枝葉どうしの間から雲間の半月が見えた。うっそうとした木々の下、義行は腕時計を見た。もう時間は午後八時になろうとしている。
「おい、和也。もうそろそろ帰らないと、おまえんとこの母ちゃんが心配するぜ。何て言って家出て来たんだよ」
「え? 隣のお兄ちゃんのとこ行って来るって。調度、お母さん居なかったから、お姉ちゃんにそう言って来た」
「馬鹿だなあ。今頃、ウチの家に訪ねに来てるよ」
季節は、五月の半ばに差し掛かろうとしている時季だ、和也が玄関前で、義行が帰って来るのをまだかまだかと待っていたのは、外はまだ明るかったが、あの時、もう午後七時近かったのだ。いかに日の長い季節といっても、午後八時が近い現在はもう完全に夜だ。
「ワンちゃん、居ないのかなあ。どっちの犬でも良いんだけどなあ‥」
「もう帰るぞ、和也。今度もう一度来よう。な。今度はさあ、もうちょっと早い時間に、明るい内に捜そうぜ。まあ、幽霊の爺さんというのは、夜中の方が良いのかも知れないけどな‥」
最後の方は独り言のようにぶつぶつ言って、義行はマグライトの光りを遊歩道メインロードの方へと向けた。帰路は、外灯の比較的たくさん点った、普段よく市民が利用している遊歩道メインロードを回って、バイクのところまで行くつもりなのだ。義行は向こうに見える外灯を目指して歩き始めた。犬も爺さんの幽霊も、一目見掛けさえも出来ずに、このまま帰るのには不満だったが、和也も、しぶしぶながら後に続いた。この静寂の闇の中に一人残ることは、元々怖がりの和也にはとても出来なかった。
義行が遊歩道メインロードへ出ようとした、その時、ガサガサと音がして和也の前に人が飛び出して来た。和也が「わあっ!」 と叫んだ。義行が振り返る。大人の人影だ。左側の木々の間の茂みから出て来たらしい。
「誰だっ!?」
義行が鋭い声を発した。義行の問い掛けには答えず、黒い影が、義行目掛けて襲い掛かって来た。義行は咄嗟に黒い影を掴んだ。そのまま腰を回す。黒い影の上着の襟と袖を掴んだ義行は、柔道の背負い投げを仕掛けたらしい。黒い影の身体半分が宙空に舞い上がるが早いか、稲妻のような光が発光してバチバチッと奇怪な音がした。奇怪な電気音と光は、義行の肩のあたりで起きた。
「ぎゃっ!」
甲高い悲鳴。義行のものらしい。義行の大きな身体が崩れ落ちた。宙空になった逆さ向きの黒い影が、義行の崩れとともに落下した。二人は一緒に地面に、音を立てて重なり落ちた。
重なったままの二つの身体はしばし動かなかった。
「ああ~、痛い、痛い。この野郎、びっくりしたぜ。いきなり投げ飛ばされそうになった。お蔭で、落ちたとき両膝を打ったらしい。くそっ!」
くぐもった声を発しながら、上になっている方の影が起き上がった。立つと、膝をかばって二、三歩よろけた。パーカーのフードを被っている。顔にはスキー用の目出し帽。
和也は叫び声を上げたかったが、恐怖で身が竦んでしまい、何も声が出なかった。和也の目の前に立つ黒い影は、あの通り魔に間違いなかった。再び、あの時の通り魔が現われたのだ。そして、あれだけ頼りにしていた用心棒役の義行はというと、地面にうつ伏せで倒れたままピクリとも動かない。和也は瞬間、状況を理解した。義行兄ちゃんは電気ショックでやられたのだ。
立って体勢を直し、仁王立ちのように構え、目の前の和也を見下ろす通り魔は、覆面の下で笑っているようだった。
「おい、ガキ。また会ったな。今日はオカッパの姉ちゃんはどうした?」
通り魔が不気味にくぐもった声を発しながら、和也に問うた。和也は真っ青な顔のまま、相変わらず声が出て来ない。和也の姉、愛子は中学のバスケット部に入って髪を切り、ショートボブのようなオカッパアタマにしていた。和也は自然と一歩後ずさる。
目の前の通り魔が右手を上げて、バチバチと電気音を立てて電流火花を見せた。
「おまえの連れのウスラ馬鹿はよう、これでやられたんだよ。残念だったな。ガタイがでかいし、柔道でもやるんだろうが、こいつには適わねえやな。俺も油断したぜ。もう少しで投げられるとこだった。危ねえ、危ねえ」
通り魔はなおも、右手に掲げたハンディーな黒い機械を、バチバチと鳴らして火花を飛ばしている。一歩、一歩と和也に近付いて来る。
「これはなあ、スタンガンていうんだ」
くぐもった声を出しながら、また一歩とじわり、和也との距離を縮めて来る。和也もそろりと後ずさりする。
「アメリカ製でな。特別、強力な電撃のヤツなのさ。それでも、服の上からだと、失神まではなかなか行かねえんだが、この野郎が投げようとしたからよ、首筋に押し付けてやったのよ。そしたら、ふんっ!このザマだ」
通り魔の男は振り返り、倒れたままの義行を見下ろした。ピクリとも動かない。完全に気を失っているようだ。男は思い出したように身体を回すと数歩戻り、義行の横腹を思いっきり蹴飛ばした。蹴られた義行は反動で身体が少し浮きこそすれ、意識の反応は全くない。うつ伏せに倒れたままの義行のすぐ近くに、長さ40センチ近くはあるマグライトが点灯したまま転がっていた。
「ふんっ、よく眠ってやがる」
男がくぐもった声で言う。男の態度は、何だか楽しそうな雰囲気だ。覆面の下は笑っているに違いない。和也は絶望感を感じていた。男がもう一度、義行の胴体を蹴っ飛ばした。また、蹴られた反動で義行の身体が浮くように動くだけだ。声一つ上げることはない。呻き声さえも出ていない。和也は義行が蹴られる度、「ひっ!」 と小さくあえぎ声を上げたが、身体中はぶるぶる震えるばかりで、他には何も声は出て来ない。蒼白の顔にはただただ涙が流れるばかりだ。和也は最近読んだ漫画で“絶体絶命”という言葉を覚えていた。和也の頭の中を「絶体絶命、絶体絶命」という言葉が繰り返し舞っていた。
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