笑っていいとも グランドフィナーレ…Ⅱ

○サングラスの奥に見た、タモリの誇りと優しさ 「笑っていいとも!」、もう「終わってもいいとも」- 東洋経済オンライン
グローバル化の進展により、国の枠を超えて活躍する「グローバルエリート」が生まれている。そんな中、人気コラム「グローバルエリートは見た!」の筆者で、『世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた』の著者であるムーギー・キム氏が後継者を募集。“芸風が似ている”ということで後継コラムニストとして指名されたブラザー・キム氏が、香港を拠点に世界を飛び回りながら、一流エリートと二流エリートの違いをつづっていく。
「きのーうまーでのがーらーくーたーをーショブン ショブン♪」
というわけで、ついに「笑っていいとも!」が終わってしまった。私は最終回の日、まさに数年ぶりに「笑っていいとも!」を夜の特番だが見させてもらったわけだが、私のように数年ぶりに最終回だけは見たい、と久しぶりにタモリを見た人も多かったことだろう。32年というギネスに載るような長寿番組を担当されたタモリさんにまず、心から慰労の言葉をささげたい。
この「笑っていいとも!」最終回特番には、なぜタモリさんが32年間もいいともを続けてこられたのか、芸能人としての成功要因だけでなく、ビジネスパーソン全般への貴重なインプリケーションに富んでいた。そのいくつかを親愛なる読者の皆様と共有させていただこう。
■タモリは芸能界の港のような人物
「タモリさん、あんたは港のような人やで!」と笑福亭鶴瓶師匠がいいことを言っていたが、その特番の登場人物を見ると、その組み合わせがすごい。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、とんねるず、爆笑問題、明石家さんま……などなど、日頃、同じ舞台で並び立たないお笑い界の重鎮どころが大集結している。両雄並び立たずとはよく言ったもので、やはりこの組み合わせはぎこちなく、からみも面白くなかったわけだが、すごいのは芸能界のどのような派閥とも仲良くやっているように見える、すくなくとも一緒に仕事ができるタモリさんの人徳であろう。
この「好き嫌いなく誰とでもいっしょに働く力」というのは、自分自身の活躍の場を広げるためにクリティカルに重要なスキルである。いや、もちろんタモリさんも嫌いな芸能人はいることだろう。しかし、私のコンサル時代の優秀な先輩の言葉を思い出すが、「仕事に好き嫌いは持ち込まない」ということなのだろうか。また一流のプロレスラーよろしく、タモリさんの周りにさまざまな芸能人が寄ってきたのは、タモリさんが各タレントの魅力を引き出してくれる、という信頼感によるところも大きいだろう。
タモリという港は人が寄るだけでなく、エネルギーを満タンにして芸能界という大海にタレントを送り出してきた。人を育てるのは人生で最も偉大な仕事のひとつだと言われるが、多くの芸能人が「笑っていいとも!」をプラットフォームに、お茶の間に羽ばたいていったことも特筆に値しよう。
鶴瓶師匠の「この人は港みたいな人や」というのは、自分自身が他人にとって「港みたいな人」であれているかどうかを自問する、よい契機になった。
■面白いかどうかより、見ていたいかどうか
実はこのグローバルエリートの弟子ことブラザー・キム、金融の世界に飛び込む前はお笑い志望の一時期があり、恥ずかしながら高校のときとか大学のときはお笑い番組のオーディションに何度か出場したことがある。持ちネタは、「裸の大将のモノマネ」一本、という勝ち目の薄い戦いだったわけだが、私自身、タンクトップにグリーンの短パンを着て、傘を差しながらおむすびを食べる姿に絶大な自信があったこともあり、何度かこのネタでお笑い番組のオーディションに出陣したことがある。
そこでいったん大笑いしてくれたものの、先に進めてくれなかったプロデューサーの一言が、実は私の脳裏に刻み込まれている。「お笑い番組って、タレントが面白いかどうかより、視聴者がずっと見ていたいかどうかが肝心なんだよね……」。
お笑い番組なのに、最も求められているのは笑いではなく、視聴者が繰り返し見たいと思う気持ち、これは言い換えれば「安心感」ということであろう。この意味で、「笑っていいとも!」は、決して笑えるような番組ではなく、正直、マンネリで惰性化していた。しかし、確かに安心感という意味ではほかの番組の追随を許さない、昼に8チャンネルに合わせると32年間、ずっとそこにタモリがいる――そういった絶大な安心感をお茶の間に提供してきた。
32年というと、3歳くらいからテレビを見始めるとして、実に日本の人口の4割はタモリと共に育ち、また残りの6割は大人になってから笑っていいともを見始めて今に至っているわけである。そう考えれば実に多くの日本に住む人々のあらゆるライフステージで、絶対的な日常感と安心感を提供してきたのが、「笑っていいとも!」が32年続いた秘訣ともいえるだろう。
■一貫したタモリブランドの演出~怒らなかったタモリ
「笑っていいとも!」が提供してきた、“いつもそこにタモリがいる”安心感であるが、32年間、悲しい日やつらい日がなかったはずがない。しかし昼に8チャンネルに合わせれば、いつものひょうひょうとしたタモリの姿がある。笑っていいとも最終回の特番の終わりで、各芸能人がタモリに送るスピーチをしているとき、共通して出てきた言葉が「本当はものすごくシャイで、優しい人」という点と、「絶対に怒らなかった」という点である。
感情の起伏を強く出さないのは、「いつもそこに同じタモリがいる」という安心感を演出するのに不可欠な要素であっただろうし、集まったタレントが涙を流しながらあいさつをする感情的な場面でも、タモリさんはいつものひょうひょうとした、ユーモラスだがクールなキャラクターを崩さなかった。
この「怒らずに背中で見せて他人をマネジメントする」というのは、人材マネジメント上、非常に難しいことである。 芸能界という特殊な業界で、いざとなればタモリさんひとりで場が成り立つからこそできた芸当かもしれないが、怒らなかったタモリが、なぜ怒らなかったのかを考えることで、芸人一人ひとりの自律的なガバナンスが促されたことだろう。これは実際の会社生活でも、とにかく小さなことでガミガミ怒る上司だと周囲のやる気がなくなるのに対し、圧倒的な大御所が部下の失敗を目の当たりにして静かに自省を促したときに、より人が育つのと共通しているといえよう。
そんなタモリさんに触発された私も、いつもデッドラインをミスりがちな部下に対して、怒らずに自制を促してタモリ流人材マネジメントを試してみたところ、単に平気でデッドラインをミスるようになっただけなので、やはり底流に部下からの深い尊敬を受けているかどうかが肝心なのは言うまでもない。
■サングラスの奥に見たまなざし
さて、最後にタレントたちのタモリさんへのメッセージの中で、印象的だった2人を挙げよう。ひとりはローラ。別にローラのことは名前を知っている程度だったわけだが、わざと涙を演出したり、泣きながら冗談を言うことでウケよう、としている複数のタレントの嘘くささが鼻につく中、彼女の心から発せられる純粋な一言一言は、お茶の間でぼけっとみていた私のハートにも届き、ここだけの話、もらい泣きしてしまった。彼女は自分が画面のアップで映っていないときも、時折、大泣きしており、いちばんタモリが共演者に愛されていることを実感する瞬間でもあった。
次に印象的だったのが爆笑問題の太田さんの場面だ。先日の首相出演に関して何かを言おうとして遮られていたが、この怒らないタモリさんが怒ったという首相への二言、「SPの、観客への態度がひどい」と、「バラエティ番組がバカにされている」の2点である。たとえ一国の首相といえど、自分の32年間守ってきた番組の愛する観客を不快な気持ちにさせるのは許せない、また自分が人生を投じてきた“はたから見ているとふざけて遊んでいるだけ”とみられがちなバラエティ番組の世界への、深い愛情とプライドをそのサングラスの奥に垣間見た気がした。
これは一般的に言い換えれば、一流の仕事をするためには、自分のお客さんやビジネスパートナーへの愛情を抱き、また周りからどう思われていようと、自分の仕事へのプライドを有していることが重要だということだろう。
タモリさん、私はそろそろ会社に出勤するために、ここらへんで筆をおきます。ランチタイムにテレビでこっそり見るのが楽しみだったのに、また日曜の特番でいつものタモリさんの姿を見られなくなるのが残念ですが、32年間お疲れさま、ありがとうございました。
最後の終わり方も、「明日も、また見てくれるかな?」で終わったタモリさん。日本のお茶の間を32年間見守り続けてきた尊敬すべき偉大なバラエティ番組に、深い敬愛の気持ちを込めて、「本当にお疲れさまでした。もう肩の荷を下ろして、“終わっても、いいとも”」と慰労の言葉を送りたい。
◆タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か? [単行本(ソフトカバー)] 戸部田誠 (てれびのスキマ) (著)
◆タモリさんに学ぶ 話がとぎれない 雑談の技術 [単行本(ソフトカバー)] 難波義行 (著)
◆僕たちのタモリ的人生論―人生に大切なことを教えてくれたタモリの言葉 (リンダブックス) [単行本] 『僕たちのタモリ的人生論』編集委員会 (編集)
◆なぜ、タモリさんは「人の懐」に入るのが上手いのか? [単行本]
いつでもいつも、常にウィークデーのお昼は、TVを点けたら必ずやってた、日常のヒトコマだった、正午の番組、「笑っていいとも」が32年間もの長い間、放送が続いて、8054回目をもって終わってしまった。僕がこの番組を初めて見たのは、東京-関東圏でサラリーマンやってた20代後半、26歳くらいのときだった。それから約32年間続いて、見てるときは毎日のように見てたし、見ていない長い期間も番組自体は常に毎日、ウィークデーに放送されてた。日曜日は午前中に、ウィークデーのダイジェスト版をまとめた「増刊号」をやってて、これも見るときは見てた。それが32年間。僕も32年も経つともう、老域に入ろうか、って年齢にまでなってしまった。もう老域なのかな。常にタモリという一人の司会者=MCが、番組進行してて、番組と共に歳を取って行ってた。タモリは青年から中年に入ろうか、まだ青年域最後の頃かなあ、って年齢から始めて、もう爺さんと言ってもいいような年齢にまでなった。視聴者たちもみんなみんな、番組と共に歳を取って行った。思えば感慨深い。このギネスに輝いた最長寿番組の終焉というタイミングで、僕自身も、「笑っていいとも」という番組が始まった当時のことを思い出す。「いいとも」始めたとき、タモリ37歳か。ああ、もう立派な中年だな。
フジTVお昼の時間帯の番組で、先ず第一に思い出すのは、僕が若い頃、当時、毎日のように築地市場に勤務に行ってて、昼休みの時間に昼食を終えて、事務所フロアの隅の応接ソファーセットで休憩というか、仮眠を取っていて、調度その頃、正午から午後一時まで「笑ってる場合ですよ」というバラエティー番組がやってて、ソファーで何となくTV画面見ながら、その内眠って、午後一時になって目を覚ましてた。当時の僕は、鮮魚や青果、生花などの生鮮物の航空輸送の仕事に携わっていて、主に、というかほとんど毎日、築地市場の場内で仕事してて、ときどき、都内の各市場、まあ、だいたい、秋葉原の、当時の神田青果市場とか、新宿の青果市場に行ってた。ごくたまに、大森の生花市場にも行ったこと、ありましたね。羽田空港には毎日のように行ってた。ああ、新宿の青果市場とは淀橋だったか。大森の花市場ってのは、大田市場だっけか。まあ、僕の、遠い遠い昔の思い出です。で、その当時、TVで見掛けた、お昼の番組、「笑ってる場合ですよ」。そして僕は転勤で、群馬へと飛ばされる。群馬に一年居て、次に飛ばされたのが、ちょっと東京に戻って来た形になるけど、埼玉県の熊谷。
18歳から30歳まで、僕はTVというものを持たず、自分の住まいでTVを見るということがなかった。当時、僕がTVを見るのは、外食の定食屋とかラーメン屋、またはその当時の友達の部屋、あるいは勤務場所の職場にTVがあれば、そこで、だった。だから、生活の中でほとんどTVは見てなかった、と言っていい。タモリという、タレントというか芸人のことは、当時は毎週、平凡パンチや週刊プレイボーイという雑誌や、当時の青年向け雑誌を買って読んでいたので、「恐怖の密室芸人」ということで、知ってはいた。ただ、ふだんTVをほとんど見ないので、よくは知らなかった。一度だけ、友達の部屋で、和田アキ子や徳光アナ、デストロイヤーとかと一緒に、中州産業大学タモリ教授、として出演して、変なコトやってたのを見たのは、覚えている。「いいとも」の前にタモリを見たのは、その一度だけだったんじゃないだろうか、とも思う。
ああ、そういえば、思い出した。芥川賞取った村上龍が、「限りなく透明に近いブルー」という映画を初監督して、その次に、監督2作目の作品として、当時のハリウッドのスーパースター、ピーターフォンダを主演に据えて、「だいじょうぶマイフレンド」という映画を撮った。僕は確か、当時の日比谷の映画館に「だいじょうぶマイフレンド」を見に行ったのだけど、その映画でチョイ役でタモリが出演してた。確か、銀座か新宿か都市のど真ん中に、隕石状かUFOか、宇宙人の乗り物が落ちて道路に穴が開いて、タモリは、それを調べに来た背広姿の刑事役じゃなかったかなあ。ウロ憶えだから、違ってたらゴメンナサイだけど。「だいじょうぶマイフレンド」の公開って、いつ頃だ(?)。調べたら1983年公開だ。と、いうことは僕はもう埼玉・熊谷に居て、「笑っていいとも」は始まっていたんだなあ。僕はワザワザ、東京まで行って映画見たのか。記憶してる時間の時系列って、あいまいなものですね。村上龍の監督第1作、「限りなく透明に近いブルー」は公開が1979年か。無論、こっちにはタモリは出てません。
僕が埼玉・熊谷の営業所勤務の折、まだ営業所に格上げされる前、熊谷分室だった頃か、いつだろう(?)83年か、82年内だったんだろうか。僕はサラリーマンで、ウィークディはたいてい出勤してて、まだ土曜日は隔週休日、日曜祝日定休だった日々。「笑っていいとも」は初めて、日曜日午前中の「増刊号」で見たんじゃないかな。作家の嵐山光三郎さんが番組案内役みたいのをやってて、月~金のダイジェスト版録画を紹介していた。「笑っていいとも」の放送開始が82年の10月か。僕が群馬に転勤になったのが、81年の3月。埼玉・熊谷に行ったのが82年4月か。やっぱ、「笑っていいとも」の番組を週間レギュラー、増刊号放送ともども、初めて見たのって、83年に入ってからしばらくしてからだろうな。当時まだ分室だった熊谷の事務所に居る社員は、僕入れてたった3人だけで、事務処理専門の事務員て、アルバイトの女性の方一人だった。近隣に住む主婦の方で、僕よりも6、7歳年上の女性。僕は当時は20代後半。で、覚えてるのは、昼食で自分ん家に帰って戻って来た、その事務の方が、「家でTVで『笑っていいとも』見て来た」って、話して、僕自身もTVは持たないけど、タモリがMCやってる「笑っていいとも」という番組には興味があって、そこで、彼女と「いいとも」の話をした。これは何だか知らないけど、この場面を、今でもよく覚えている。済みません。今現在、そのアルバイト事務員だった主婦の方、名前が思い出せません。当時の姿かたち、顔ははっきり思い出せるけど、名前が全く出て来ない。済みませんが、何しろ今から30年は前のコトだし。この方と会話したことで記憶してることはいくつかあるんだけど、この「いいとも」の件は何故か、はっきりと記憶している。3人の社員で営業所を回していて、いつも2人は営業に出て、僕は電話番で事務所に残ることが多かった。だからよく、午前中はその主婦の方と会話してた。午後からは僕も社有社のバンで、営業とかで外回りに出てたけど。まあ、僕の昔々の話ですけど。
まあ、そういうことで、通常ウィークデー放送の「笑っていいとも」は、ほとんど見ていないけど、日曜日午前中の「増刊号」は、ときどき見てると思う。タモリという人、自体には興味があったし。東京-関東圏の大企業サラリーマンを辞めて、生まれ故郷に戻ってからは、次の仕事に就くまで一年ちょっと、ニート生活をしてたから、この間は多分、毎日のように、お昼の「笑っていいとも」を見てると思う。毎日毎日、テレフォンショッキングで個性の違うあらゆる有名人の人たちと会話する、MC・タモリの技術は本当に「凄いな」と思って、見てた。まあ、もともと早稲田の哲学科中退だって経歴は知ってたし、本業芸人なんて立場のMCだけど、トランペットもちゃんと演奏できるし、この人は実は、相当頭の良い人なんだろうな、とかって思ってた。タモリには憧れ感もありましたね。リスペクト感を持ってた。
「笑っていいとも」レギュラー放送、最終回のお昼の分が終了して、3月31日の夜は、午後八時からライブ放送で、記念碑的スペシャル3時間超の生番組、「笑っていいともグランドフィナーレ」が放送されました。いつもの狭いスタジオアルタではなくて、フジTV本社スタジオで、これまでに「いいとも」番組に関わって来たタレントら百名以上が集結して、最終局クールのメンバーや、代々レギュラーメンバーから選ばれた、今の大物芸人たちが舞台に登壇して、まあ、トークを繰り広げていた訳ですけど、まあ、結局は収拾が着かないようなドタバタ場面になりましたが、三時間の最後の方では、最終局クール、というか、この一年くらいは担当曜日替えはあったけど、レギュラーメンバーの入れ替えって、ほとんどなかったんじゃないのかな、と思うんだけど、そのお昼のレギュラー放送、最後の週までやってたメンバーたちから、32年間もの間、単独MCをこなし続けて来て、この日、終わりを迎えた、偉大な司会者、タモリに、「贈る言葉」のスピーチをやってました。
終始、涙を流していたローラが、スピーチのとき号泣していたけど、ローラにとって“いいとも”の番組は、「家族」みたいなものだって言っていたけど、タレント・ローラは、あのへんてこなキャラでやってるけど、実際のローラは、複雑な家庭で育ったハーフ系だし、実の親父はバングラデシュなんて途上国で、貧困国の人だし、また、“いいとも”レギュラー中に親父の事件もあって、シャレにならないスキャンダルになったし、奇妙な不思議ちゃんキャラのローラも実は、非常に生々しい人生経験を送って生きて来た、またタレントとしての表面では決して見えない、裏側の実像では、かなり複雑な、言ってみれば厳しい面の、何というか、「思い」とか「心情」とかを持って生きているんだろうな、と感じた。ミムラもナカイ君も、ローラにとっては優しくて頼りになる兄みたいなもの、だったのかも知れない。タモリに対しても、父親に近い存在のような感じを持っていたのかも。TVの中で大はしゃぎして、いつも騒いでいる芸人やタレントで、その裏側の実像では、人見知りで恥ずかしがりやで、本当は無口な人だったり、意外な人だというケースは多い。複雑な家庭で育って、日本の小・中学校に通っていたローラも、その子供時代、少女時代には、今のタレントキャラからは想像も着かない、イロイロな体験があったんだろうナ。子供ながら、辛くて悲しくて大泣きしたコトだってあったんじゃないか。“いいとも”グランドフィナーレの終局、ローラのスピーチを見ていて、僕はそういうものを感じた。
スピーチでは、SMAPの香取慎吾も泣いていた。香取の話していたのは、香取自身がSMAPなど仕事面でも、私的な面でも、この長い間、辛いとき悲しいとき、怒りでたまらないときがあって、とてもバラエティー番組に出て笑ったりできる心境でもないときに、それでも「笑っていいとも」というタイトルの番組の演者として、仕事で笑っていなければならなかった。これがもの凄く辛かった。というような、内容の話だった。それを号泣に近いくらいの状態で、スピーチしていた。最後にタモリに向かって、「辛いとき悲しいときでも笑っていいかな?」と投げ掛けて、タモリの「いいとも!」の返事を引き出して、締めて見せた。これは暗に、香取慎吾が、「笑っていいとも」というバラエティー番組のコンセプトというか、タイトルも含めた番組内容の基本方針みたいなものを、示して見せたんではないだろうか、と思った。出演者である香取慎吾だけではなく、それを見ている視聴者の人たちも、人それぞれイロイロな状況下で見ている人たちが居るだろう。精神的な状況、実際的な状況、とても笑ってなど居られない状況下で、辛く悲しく、また怒りが押ええられないような、そういった負の精神状態の状況下にあるときでも、番組を見て、ちょっと笑ってみてください、というような。とても笑えるような状況でなくとも、笑ってみれば、心に余裕ができてみたりするかも知れないし、ホンの少しでも気分がラクになれるかも知れない。別の発想が出て来るかも知れない。今抱えている問題の解決の糸口が、ひょっとしたら見つけられるのかも知れない。だから、辛くて悲しくても、怒り心頭で噴火しそうな状態でも、とても厳しい表情で居ても、番組見て、ちょっとでも良いから笑ってみてください。というような意味だったのかも知れないな、と僕は思いました。香取慎吾は、自身のとてもネガティブな精神状態の中でも、仕事でムリムリ笑っていたけど、そうやって無理やり笑うことでも、少しでも気分が軽くなる、気持ちの切り替えの手伝いになる。そういうことを言いたかったんじゃないのかな、と僕は思いました。
以前、泥酔して、深夜とはいえ戸外の公園で裸になり、大声を上げて叫んでいた、クサナギ君や、今回の、涙流しながら自分のネガティブな心情を吐露するカトリ君など、芸能界全てのジャンルでトップレベルに君臨しているくらいに、活躍している、アイドル・セレブな超有名人でも、「心の闇」は抱えているものなんですねえ。表には出さないけど、あのナカイ君にだって、きっと奥底には「心の闇」はあるのでしょう。 何か、あの、タモリさんに送るタレントたちのスピーチを聞いてたら、タモリに言っているようで、実は自分自身に向かって話し掛けてるようにも感じられました。不思議なキャラクター、タモリは、鏡でもあるのかな、とかとも思いました。実体が見えにくい、実体がないようにも見える、タモリという人は、ときとして鏡にもなってしまうのか、とか何とかとも思った。いえ、僕がそう思っただけですけど。号泣しながらのローラの吐露も、親父代わりの存在に対して喋ってる、と言うよりも、自分自身に向かって話し掛けてたのかな、とかって。そんなふうに僕には思えた。
※(2014-04/02)笑っていいとも グランドフィナーレ…Ⅰ
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