●漫画・・ 「青春」..(3)




「劇画」の命名者であり、手塚治虫が開拓した戦後ストーリー漫画の裏街道、貸本文化の世界で、貸本黎明期から終焉まで、その中心部で関わり続けて来た、「劇画史」の重要な立役者の一人、辰巳ヨシヒロ氏が興した貸本専門の出版社「第一プロ」、後の「ヒロ書房」が1963年に創刊した青春もの短編漫画オムニバス誌、「青春」の前期の巻頭カラーを飾った作品を多く提供したメイン作家は、みやわき心太郎氏でしたが「青春」中期から後期頃に掛けて、巻頭カラー作品や人気漫画が数多く掲載されたのは下元克巳氏や田代タケル氏の作品でした。田代タケルさんの漫画は当時の僕のお気に入りで、だからといって読者人気が高かったのかどうか今となっては僕には解りませんけど、掲載短編が度々巻頭カラーを飾っていた下元克巳氏の漫画は人気があったでしょうねえ。勿論、当時の僕は下元作品も大好きでした。

下元克己先生は同じ第一プロから単行本もけっこう出していて、どちらかというとやはり青春ものテイストの作品が多かったと思います。短編誌「青春」に発表する短編は、学園青春ものでもコメディータッチでギャグ味付けものが多かったのですが、一冊もの長編ではシリアスストーリーものもあったと記憶しています。特に印象深く憶えているのが、1962年にデビューして、63年に「美しい十代」という持ち歌が大ヒットして、当時の一大青春スターとなった三田明の、実在アイドル伝記的作品を、下元先生が描いています。多分、64年くらいか65年かの長編作品で、第一プロ発行の貸本単行本です。若冠16歳の少年が歌謡芸能界にデビューする前後からスターダムにのしあがるまでの実話を元にしたサクセスストーリー漫画です。64年65年時は三田明さんもまだ人気絶頂期の時ですよね。勿論、この時代小学校低中学年の僕はハイティーンの美男アイドル歌手なんて全く興味ありませんが、貸本漫画とはいえ、当時のアイドル芸能写真誌「平凡」や「明星」読者の若い女性層を対象に出版されたのでしょうね。あの時代の貸本少女漫画の読者層は、けっこう若い女性層が多かったですからね。下元克巳の漫画は純然たる少女漫画ではなかったけれど、青春漫画オムニバス誌「青春」には若い女性の読者層も着いてましたからね。当時、女性の下元漫画のファンも多かったでしょう。子供の男の子の僕も、下元克巳漫画が大好きで、当時のアイドル歌謡歌手・三田明には全然興味なかったけれど、この三田明実話漫画も借りて読みました。下元先生の絵柄そのものも好きだったし。小学生のガキのくせにませくれてましたが、下元克巳描く美少女や若い女性の絵が好きでした。


貸本誌「青春」掲載の作品は両先生とも明朗学園ユーモア漫画で、勿論、ストーリー漫画ですがギャグ味付けで純愛味の入った学園漫画でした。下元作品の方が青春恋愛テイストが主要だったかなあ。田代さんのは、学園ドタバタもの的なギャグ調ストーリー漫画。青春恋愛ものというよりは、どっちかというと学園ドタバタもの漫画だったかなあ。短編集誌「青春」掲載の下元克巳作品も田代タケル作品も当時、僕は大好きでほんわか楽しく面白ろおかしく読ませてもらってました。貸本誌「青春」中期からは、下元克巳先生描くカバーカラー表紙絵も多かったし。下元克巳さんも田代タケルさんもオムニバス誌「青春」に、短編の明朗学園青春コメディ純愛漫画を寄稿するだけではなく、貸本漫画は同じ第一プロ(ヒロ書房)から単行本で長編も描いてました。田代タケル先生は短編誌「青春」に、「フーテン劣等生」シリーズというドタバタ調の学園青春コメディものの中短編を載せていたのですが、これの長編作品を一冊本で出していました。だいたい内容も登場人物もほとんど一緒だったと思います。何しろ、小学生当時に堪能した貸本漫画で、一泊二日で読んでいた漫画本ですから、大昔のことで非常に記憶があいまいなのですが、青春ものオムニバス誌「青春」掲載の両漫画家の短編学園ものは、下元作品が高校生シーンで、田代作品は中学校舞台の学園漫画だったような気がします。でも、現在、僕は当時の貸本誌「青春」現物を所持している訳ではありませんから、はっきりとはしません。いい加減でごめんなさい。


田代タケルさんの学園青春コメディーのドタバタものも面白く、ホンワカ思春期恋愛風味も利いてて良かったですね。「フーテン劣等生」シリーズの長編版単行本も愉快に楽しめて良かった。後に、田代タケルさんは貸本文化終焉近くの貸本末期、実売出版の雑誌界に移ります。しかも最初はメジャー誌、週刊少年マガジン。「やって来た番長」という学園もの。ほとんど、貸本誌「青春」で描いていた「フーテン劣等生」シリーズのような、学園コメディーものと同じ内容だったと思います。雑誌に移ってからは名前を“一本木尊”に変えて、週刊少年マガジンや、その後、週刊少年ジャンプに描いてました。ジャンプ掲載作品も学園ものだったと思います。どれもだいたい、3週くらいか10週くらいまで続いたものなど、短期集中連載や、それのちょっと長めの連載作品でしたね。田代タケルさんは、雑誌に移ってからの一本木尊名義では、数ではあまり作品を見なくなりました。雑誌移行後は寡作でしたね。僕は70年代も中期以降は一本木尊氏の作品を全く見ていないのですが、後々、知ったところでは、青年漫画ジャンルでシリーズもので、1970年代後半に一世を風靡した感のある、どおくまん作画の「嗚呼!花の応援団」と、とてもよく似た傾向の作品を描いているようですね。僕には詳しいところは解らないのですが、「左巻き大学」シリーズとかで、「左巻き大学・空手部」とかそういうタイトルのコミックス巻もあるようです。こういう作品は「嗚呼!花の応援団」の類似的内容の、大学舞台のギャグ風味主体の、学園ストーリーコメディ漫画だったようです。僕個人としては、少年ジャンプ掲載の学園ものも見てないし、田代タケル・一本木尊氏の作品は、週刊少年マガジンの「やってきた番長」が結局最後に読んだ作品だったように思います。60年代末期、月刊の「別冊少年マガジン」にも読みきりを描いていると思うので、そちらも読んでいて僕が記憶忘却なのかも知れません。尚、「やって来た番長」の連載は、週刊少年マガジン1968年の新年号あたりです。週刊少年ジャンプ掲載の作品も60年代末あたりで、「おれとおまえとあいつ」という作品名ですね。



下元克己さんも田代タケルさんとだいたい同時期に雑誌に移っていて、やはり同じくメジャー雑誌、週刊少年マガジンで短気集中連載で「快男児ゴリ一平」という、ユーモア風味の痛快学園漫画。多分、僕も読んでいる筈ですが、内容はすっかり忘れています。下元克己先生は、雑誌に移って以降も、少年誌・青年誌に70年代前半、数々の中・短編を描いて活躍しているようですね。下元さんは元々、貸本時代からギャグ調ユーモアストーリーだけでなく、シリアスな内容のストーリー漫画作品もいっぱい描いてましたからね。僕が記憶しているのは月刊別冊少年マガジンに連載されていた、ギャグ調ユーモアストーリー漫画の「ゴキブリ」。「快男児ゴリ一平」は、週刊少年マガジン1968年の3月頃の掲載ですね。しかし、やはり僕の脳裏に印象深く残り続けているのは、下元克己作品も田代タケル作品も、あの貸本誌「青春」で読んだ短編の学園漫画群ですね。いつまでも心に残り続ける、切なくも狂おしいような甘味で至上に楽しい記憶。甘味過ぎる郷愁。

ちなみに上記、一本木尊氏の漫画作品のことを書いているところで、引き合いで出した、あの時代の爆発的人気漫画、どおくまん(大阪出身の四人組漫画家共同ペンネーム)氏作画の「嗚呼!花の応援団」ですが、このギャグ調ストーリー大学学園漫画は、1975年の週刊漫画アクションに連載開始され、大人気の内に数年間連載が続きました。勿論、ここのBlog記事タイトル、貸本誌「青春」とは、全然関係ないのですが、あの当時の「嗚呼!花の応援団」からは世間に、「クエックエッ‥」や「チョンワ、チョンワ」という流行語までが出て来ました。正に一世を風靡した感、でして、後に実写映画化もされました。週刊漫画アクション黄金期の看板漫画の一つでしたね。この間、TV放映の後に劇場版映画化された連続TVドラマのスペシャル2時間版「SPEC」を見ていたら、中に出て来る悪い方のヤツの一人が、超能力でテレポーテーションを使うときに、「クエッ」と叫んで、往時の「花の応援団」主人公の怪人、青田赤道がやる恰好をそのままやってました。懐かしかったです。両手を斜め高く挙げて海老反りスタイルで片足を後方に上げるという、独特の恰好。あのスタイルも当時は流行ったのかなあ。


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◆(2012-04/25)漫画・・ 「青春」..(3)







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