●映画&小説・・ 「ゼロの焦点」..(1)


僕が小説「ゼロの焦点」を読んだのは16歳の冬です。6歳の頃から漫画に夢中になっていた僕は少年期、漫画浸けの日々でした。とにかく子供の日々、漫画本はよく読んでました。また、アニメでなく、本の漫画が大好きでほとんど熱中していました。中学生の頃、活字の本、子供向けの小説ですね、これは「シャーロック・ホームズ」ものは長編・短編ほとんど読みましたが、義務教育時代の僕の読書体験なんて、ほとんどそれだけです。もう少しだけ、少年少女向けの推理小説本を読んでるかも知れませんが、とにかく子供時代は活字の本は読まなかったですねえ。小学生時代は学業成績著しく悪く、いわゆる劣等生で、勉強に繋がるよーな「活字だけの本を読む」なんてことは全然しなかったのです。また、活字だけの本を読むのは苦手でした。それでも中学生になって、幼馴染の友達の勧めで「シャーロック・ホームズ」だけは読んだんですけど。ホームズもの推理小説は長短編全作に近いくらい読んではいますけど。まあ、義務教育期間の9年間はそれだけと言ってもいいくらいの読書体験ですねえ。激しく情けないけど。

で、高校一年生の時に学校の図書館で江戸川乱歩の小説本を借りた覚えがある。けれど、僕は活字を読み進むのがひどく苦手で本を読むのがとても苦労していた。ものすごく遅読だし。だから、確か比較的新しく刊行された江戸川乱歩全集の中の1冊で、表紙の装丁や挿画が横尾忠則さんの全集本ですが、装丁そのものまでやってたかどうか表紙イラストが横尾さんだったかどうか、済みません記憶にないし調べてもいませんが、ぶ厚いB6(A5だったかも?)全集本の間に3枚くらいカラーイラストが挟んだ製本の全集本でしたが、その1冊を借りたはいいが、なかなか読み進めずに苦労していました。小学校の頃から勉強というものをやって来てないし集中力がなく、また小学3年生くらいで急激に落ちた視力は小四の時は0,1ピタリで止まってその後はずーっとそのままで視力そのものも悪くすぐに眼精疲労してしまう目だったし、まあ、小中学校の時代、国語の教科書さえまともに読んで来ていない読書苦手でしたからね、その高一で借りた江戸川乱歩の小説本も、到底まともには読めなかった。でも高一の時代には学校図書館でその全集本を2回くらい借りてるんですよね。無論別の本ですけど。どっちも到底読了出来てない。また他に、まともに全部読んでないけど、リアルに忍者の歴史を解説した本を借りています。こっちは興味を持ってけっこう読んだ。無論、完読はしてません。これは同じ本を2回借りた記憶がある。

高校二年生になって一人の転校生と仲良くなりました。いつも一緒につるんで居るようになってました。この転向して来た友達が、ある意味不良少年のクセに、読書家だったんですね。ある意味不良とは、高校生のクセに喫煙は勿論のこと、学校帰りに神社で私服に着替えてパチンコをやるは、土日は転向して来た元の学校、元の地元に帰ってそこの仲間とマージャンしたり飲酒したりしているという。それでいて一人で居る時は本ばかり読んでいる。本って小説ですが、話を聞いてると太宰、芥川、漱石などを読んでいて、この当時の流行小説まで広く読んでいる。高校二年生で、大学生の女の娘と付き合ったりもしながらかなりの読書家でもある。家庭が裕福らしくいつでも充分に小遣いを持っている。まあ、だからパチンコもマージャンも出来るし、飲酒やタバコ買う金もあったんでしょうけど。田舎育ちの劣等生だった僕には、この転校生は都会的で洗練されて見えて、とても新鮮だったんですね。僕は学校の中ではこの転向して来た不良ぽい文学少年の友達とつるんでいたけど、下校してからの学校の外では一緒には居ませんでした。というのが、こいつは家が裕福なんでしょう、小遣いをいっぱい持ってたけど、この時代の僕は本当に貧乏で小遣いどころじゃなかった。

僕は子供の頃から周囲に比べて比較的裕福な家庭に育っていましたが、15歳のとき家が破産して、その前と比べると雲泥の差の生活レベルの大貧乏になってしまっていた。高校に行けたのが奇跡的なくらいの貧乏でした。住んでいた家も中学校のときまでの玄関構えのしっかりした広い裏庭のある比較的大きな、まあ、あの当時じゃ割りと立派な構えの家から、それはもうボロボロのあばら家住居に移り住んで、隙間だらけの家は風通しが良過ぎて秋冬は寒いは、春も早春は寒かったでしょう、雨の日は盛大に雨漏りするは、強風でも吹こうもんならバタンと倒れてしまいそうなボロ家で生活していて、幼馴染やそれまでのかつて知ったる人たちに移り住んだボロボロ住居を見られるのが恥ずかしくて恥ずかしくて、極力、中学の頃までの友達や知人に会うのを避けたし、街で出会おうもんなら逃げ隠れしてました。それは当時の高校のクラスメートたちも同じで、絶対に生活する住居を見られまい、としていました。だからこの、クラスでは仲良くしていた不良の文学少年も、僕の家には絶対に連れて行かなかった。一度僕の家に遊びに来たがったんですが、とにかく阻止しました。「何だ、貧乏だからって、家がオンボロだからって、友達に家を見せるのを嫌がらなくたっていいじゃないか。貧乏はそんなに恥ずかしがることじゃないぞ」とおっしゃる方も多いと思いますが、これが小さな子供の頃から貧乏だったら馴れっこでそうでもないと思いますが、15歳という思春期に比較的良い方の生活レベルからいきなり、どーんっと大貧乏に落ちてしまうというのはこれはキツイですよ。貧乏落ちたての頃は明日食べる米がないといって家にない金目の物を何とか捜して捜してかき集めて、質屋に行ってわずかな現金を作ったりして凌いでたんですから。

もともとは僕はとてもシャイですがとにかく面白いことをしてみんなにウケたいという自己顕示性も持ち合わせていましたし、小学生の頃は劣等生でも友達は多かった。反面ヒトミシリが強くて内気だけど反面はけっこう明るくて友達付き合いが良かった。そんな僕は思春期に大貧乏に落ちて雨漏りと寒風吹きすさぶあばら家に住んで、内気が増幅し自分に籠もる方の性格ばかりが強く成ってしまった。とにかく自分に籠もるばかりの性格にかなりシフトしてしまったんですね。高校生の頃は学校では友達は居ましたし、みんなイイヤツばかりでしたが、僕は学校外では全く人付き合いしなくなった。休みのアルバイトとかは行ってましたけどね。でも、自分で言うのも何ですが、何処でも心を閉ざしがちになりましたね。だから高二になってすぐに「読書」を覚えたのは、自分に閉じ籠る世界を作る絶好のものでした。自分の籠もるべき世界を見つけて有り難かった。

この高二の学年始めに転向して来た不良の文学少年M君は仲良くなって間もなく、僕に2冊の文庫本を貸してくれました。はじめ2冊、その次にまた2冊。これで僕は大衆小説の虜になった。正に自分に籠もりきる世界の発見です。4冊の作家はどちらも松本清張と五木寛之。このときM君が貸してくれたのが堅苦しい日本文学なんぞではなかったのが良かったんでしょうね。はじめの2冊は五木寛之の方は短編集で、松本清張は多分「黒い画集」という短編集だったと思います。相変わらず僕は読むのが遅くて何度もM君に「何だ、まだ読み終えないのか!?」と呆れ気味に文句を言われました。僕は、目が悪いのもあるんでしょうけど、小学校のときから活字が苦手で、漫画でもコマの中にかなりスペース割いて説明文が入るのは読み飛ばしてました。出来るだけ活字のない、極力簡単なセリフだけの漫画が好きでした。まあ、生まれながらのアタマの出来が解ろう、というもんですけど。で、苦労しながら読んだぶ厚い松本清張の短編集は面白かった。やっとのことで2冊読んでM君に返して2回目貸してくれた。1冊は松本清張の「点と線」。もう1冊の方はよく覚えてないけど、多分、五木寛之の別の短編集でしょう。それかひょっとしたら松本清張の別の短編集、「張込み」だったかも知れない。「目の壁(眼の壁)」かな?

読み上げるのは遅いが僕は、松本清張の世界にどっぷり浸かって行きました。清張や五木寛之の小説を読んで、その世界に入り込むとなかなか奥深い。僕は完全に松本清張と五木寛之の世界に魅了されてしまった。M君から小説本を借りたのは最初の数冊までで、後は自分で買って読みました。田舎の公立高校の学校図書館には流行小説本なぞ置いてなかったのです。市立図書館、というのはアタマに浮かばなかった、思い付くことがなかった。え?どうしてそんなに貧乏な家の学生なのに流行小説の本が買えたのかって?それはね、僕は最初、母親が朝作ってくれる弁当を持って学校へ行ってたんだけど、途中から毎朝昼飯代に百円玉1個貰って行くようになったんですよ。あの時代は公立高校の食堂で百円1個あればカレーライスでもうどんでも定食でも食べれた。僕は本代欲しさに毎日昼飯を抜いたんですね。それで学校帰りに、新潮文庫、角川文庫、講談社文庫の小説本を買って読んだ。貯めた百円玉が増えればハードカバー書籍も買って読んだ。松本清張は文庫本で続けてかなり読んで行きましたねえ。五木寛之もカッコ良くて大ファンになった。他には、遠藤周作や野坂昭如が多かった。遠藤周作はあの時代、狐狸庵山人という仮名を冠したエッセイ本がベストセラーで大流行でしたが、僕は遠藤周作は小説本はいっぱい読んだけど、エッセイ本は読んだことないですね。遠藤周作さんは大衆文学の娯楽小説も純文学も書き分ける、とても器用な作家さんだった。娯楽小説も抱腹絶倒系もホラーもあれば、思わず涙する悲哀な感動小説もあった。野坂昭如さんは高三のときには僕は、何だか野坂信者のようになっていましたね。野坂昭如のエッセイ本や評論にはかなり影響された。
高二の始めに転向して来たM君とも僕が高三になるとクラスも違い、一緒に居ることもなくなった。高三のクラスではまたいっぱい友達が出来、親友も居た。高二の頃はかたくなに殻に籠もったように、学校から出ると友達付き合いはほとんどしなかったけれど、高三の頃は学校が退けての校外でも友達とつるんでることも、けっこうありましたね。M君とは高三になってからはほとんど付き合いはなかったですね。

※という訳で、今回のお題タイトルの「ゼロの焦点」にまだ全然触れることなしに、どこが「ゼロの焦点」なんだ!?というくらいに上記の話に「ゼロの焦点」が入って来ない、状態の中で今回の記事は終わりを告げて、終わりを告げるって、要するに次回へ「続く」んですけど、そういう訳で次回へ続く。この記事は、「ゼロの焦点」..(2)へと続きます。待たれよ次回。

◆(2010-11/19)映画&小説・・ 「ゼロの焦点」..(1)
◆(2010-12/16)映画&小説・・ 「ゼロの焦点」..(2)
◆(2012-08/25)映画&小説・・ 「ゼロの焦点」..(3)

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