「少年キング・少年ジャンプ・少年チャンピオン」創刊号



今晩は。皆さん、お元気ですか。Ken-mortimaです。師走に入り、朝晩がめっきり冷え込んで来ました。風邪などを引かぬよう気をつけてくださいね。この間、本屋さんに行ったら、今年の春先くらいかに読み上げた文庫本のミステリ小説、小野不由実さんの「黒覗の島」が漫画化されていました。今は他のメディアの作品の漫画化がたくさんありますね。映画、TVドラマ、小説、でのヒット作は必ず漫画化される。今は「漫画化」などとは言わずに、「コミカライズ」と洒落た呼び方をします。TVやラジオで聞いても、本で読んでも、洒落て、英単語での言い回しをする言葉の、多い事。雑誌で読んでいて、何の事かさっぱり解らず、英和辞典で引いてみたり、後で解ったりして、ああ、そういう意味の英単語か、解んねえじゃねえか、日本語で言えよ!と思う言葉がたくさん。特に、TVで見たり聞いたり、雑誌で読んだりの、文化人の対談。これに、世の著名な文化人達が英単語での言い回しを使い、その場で意味が掴めない事もけっこうある。まあ、言葉のカタカナでの言い回しが、時代の流れに乗り、新しく作られて行っているんでしょうけれど。今の流行歌の歌詞なんてもう顕著ですよね。ひどいのは半分は英語詞。文法的には合っている一英文を並べてるんでしょうけど。あれ、英語部の意味が解って聞いてる人ってあんまり居ねえだろうなあ、と思う。今の歌のタイトルはもう、九割がたは英語だし。戻ろう、「黒覗の島」。それで、コミカライズ作品の「黒覗の島」は読んではいません。小説で読んだから。ミステリ物語は、やっぱ小説で読むのが一番面白いですね。逼迫感とかワクワク感、ドキドキ感が圧倒的に違う。リアリティーの強い作りの映画も良いけど、やっぱ小説で読むのには適わない。ミステリに限って、ですよ。特に本格推理小説。漫画化はやっぱしあんまりね。漫画でのものはあんまり良くないように思う。それでも、「金田一少年の事件簿」はけっこう良かったです。あのシリーズ漫画は面白かった。あれは、僕は、コミックスでは読んだ事無いけど、連載のお話がひとつ終了すると、いわゆる少年マガジンの別冊方式の雑誌形式でB5版で総集編が出てた。あれでだいぶ読みました。あれは、連載と同じB5版で絵が大きかったから読みやすくて良かった。「金田一少年の事件簿」も、作者は過去の推理小説の名作傑作の数々から、トリックやお話のタイプをどんどん取り上げて行き、長期連載で人気を保持し続ける事をやってのけたのでしょう。多分。少年マガジンの編集部内で「金田一少年」プロジェクトチームのようなものが組まれていたかも知れない。ヒット漫画を続けて行く為には作者と編集者は一体ですから。売れる漫画作品の為には出版社会社員編集者はものすごく努力する。例え名前が出ずに影に隠れた功労の存在であろうとも。多分、万作のヒット漫画の影には全てといっていいくらいに、奔走する担当編集者の縁の下の大きな力があるのでしょう。と、思います。市場主義企業出版会社の社員サラリーマン編集者達の、多大な功労の多量の汗が、大ヒット漫画を支える。のだと、思う。

小野不由美さんの小説は、ミステリ小説「黒覗の島」も面白かったけれども、大長編「屍鬼」が良いですね。実に良い作品です。ミステリというより怪奇ものかな。どちらもサスペンスでくくってもいいけど。って僕はまだ「屍鬼」は2巻の途中までしか読んではいないけど。面白いです。最近は寄る年並みには勝てず、めっきり体力が落ちて、忙しいし、ミステリ小説もじっくり読めなくて。歳食ったらあんまし寝なくなる、ってあれ、嘘ですね。寝ないと体力が全然持たない。年寄りが朝早く起きるのを、年取ったらあんまし睡眠時間取らなくてもよくなるんだ、と年寄りになるのを楽しみにしてたらそんな事全然無い。視力は衰えるし。視力って要するに眼球の力が衰えるんですね。加齢と共に弱り行く各細胞の、眼球の細胞も確実に弱って行っているという事です。ああ、歳は取りたくないもんじゃ。古来、権力者が不老不死に憧れ続け、不老不死を夢見ていたのがよく解る。これは往年の大巨匠漫画家、白土三平さんの奇作「イシミツ」を読めばよく解ります。あ、そういえばこの「Kenの漫画読み日記。」も、あの大大巨匠史劇漫画家、白土三平先生はまだ取り上げてはいなかったな。白土先生の時代劇劇画ラインにはいくつもの傑作が並びます。50年代劇画黎明期から80年代90年代の劇画円熟期まで活躍された、日本漫画史には絶対に外せない屈指の巨匠でしたよね。「忍者武芸帳」と「カムイ伝」と「サスケ」はあまりにも有名です。「サスケ」は知名度はそうでもないかな。

突然、話が変わりますけど、もう、ちょっと以前の話になるけど、NHKの特集番組で、フリーターとニートの若者達を集めて、有名人を何人か呼んで、この人達の現状と今の就職の問題を語り合う、討論番組をやっていて、その中のフリーターの一人に、「漫画読み屋」という仕事を個人的にやって、毎月かつがつ何とか食べるだけの生活を送っている若い人が出ていた。この「漫画読み屋」という仕事は、彼が発明した仕事で、いわばストリート声優のような路上パフォーマンスを聞いてもらう、変な職業だ。若者の集まる下町の路上に、人気漫画本を何冊か並べて、客の選んだ漫画本の数ページを、声優よろしく臨場感たっぷりに演技的に読んで聞かせる。一回百円で月十万程度稼ぐらしいが、若者の話から推察するに、どうも税金も健康保険も払っていないようだ。これは毎月毎月食べるためだけの生活の、仕事のようであった。いや、長々と書いてきたけど、僕が言いたいのは、僕のブログ名「漫画読み日記。」という題は、この「漫画読み屋」さんの書いている日記と思われやしないだろうか?とその時に僕はちょっと心配したという事です。「漫画読み屋」なんて仕事をやっている人は、この人くらいで、居ても日本中でも数える程度でしょう。でも僕も「漫画読み」とタイトルでうたっているし、ひょっとしたらカン違いして読んでみて、なーんだ違うじゃんこれー、みたいな事になっているケースもあるのではないかと、その時はいっそブログタイトルを変えようかとも思ったものです。「漫画読み日記。」というけど、いわば漫画感想文主題。それもおっそろしく古い漫画のものが多い。長島監督から引き継いだ原監督が「ジャイアンツ愛」と言っていたのを思い出し、題名をいっそ「漫画愛通信」なんてものに変えようかとも思いましたが、まだ現状です。まあ、諸般の事情からこのブログを閉じようかと思った事もあったくらいです。でも続けてます。

という訳で漫画です。上記文でニートやフリーターの事に触れたから、そういう事関連の漫画か?というとさにあらずです。ニート関連だと、原作狩撫麻礼で作画たなか亜起夫の双葉社アクション系の名作「ボーダー」なんかがあるんだけど、それに関して書くのは止めといて、今回は上記文の中の一文「おっそろしく古い漫画が多い」から、またしてもおっそろしく古い漫画の関連、というか歴史、漫画史ですね。今回はワシが、今はなき「週刊少年キング」、今も健在「週刊少年ジャンプ」「週刊少年チャンピオン」の創刊号から続けてその年の何号かあるいは十何号かまでは購読し続けたんですよ、というまあ、漫画関連自分史からのささいなエピソードというか思い出を、まあ書く訳です。何て事ないです。独りよがりの勝手な思い出ひたり、です。はい。


一番古いのは1963年の少年キングの創刊ですけど、少年チャンピオンから行きます。少年チャンピオン創刊号には当時の大人気スポーツ‐スター沢村忠が表紙に載っていました。沢村忠さんは、当時産声を上げた新格闘技スポーツ、キックボクシングのスター看板選手でした。空手とボクシングの合いの子みたいな初めて見る全く新しい格闘スポーツ、キックに全国の少年達は熱中したものです。少年チャンピオン創刊号っていつなんだろう?だいたい69年か70年くらいの筈。69年の夏頃ですね。誌名から、創刊号にキックのチャンピオン沢村忠、2号は確か当時のプロレスチャンピオンのジャイアント馬場だったように思う。もしかすると3号の表紙かもしれない。と、いうふうに各界のチャンピオンの写真で表紙を飾ってたんじゃないかな。しばらくは。少年チャンピオンは最初は月二回刊の隔週刊誌で、創刊13号くらいまで隔週で行き、14号か15号できちんとした週刊誌となった。老舗の月刊漫画誌「冒険王」と「まんが王」を発刊している秋田書店の出す、初週刊誌で、売れ行きビッグな絶対の2大週刊漫画誌「マガジン」「サンデー」に対抗すべく、秋田書店も気合を入れて、さいとうたかをの時代劇読みきりに、手塚治虫「ザ・クレーター」、貝塚ひろし「赤い牙」、ジョージ秋山「ざんこくベービー」、月刊誌「冒険王」の大人気看板漫画の「夕焼け番長」のアナザエピソード編を筆頭看板に持って来て、豪華布陣で新創刊に臨みました。僕はこれを新創刊から15号くらいまで続けて買って読んでいた。看板漫画「夕焼け番長」も週刊化と同時に終わり、看板漫画は週刊化1号の第14号くらいから梶原一騎原作、かざま鋭次作画の「朝日の恋人」に譲る。考えてみれば、この頃から梶原一騎の新たな試みで少年漫画の新境地として、「恋愛」というものを描いて行ってるんだな。マガジンの「愛と誠」といいこの「朝日の恋人」といい。梶原一騎って、熱血スポーツ根性ものの漫画原作ばかしでなくて、こんな少年漫画の新たな領域開発とかやって来たんだ。やっぱ、一時代の漫画原作の独占的帝王の座を維持していただけはありますな。何かと黒いウワサ話が周囲を取り巻く御仁でしたが、偉大な少年ものお話メーカーでした。週刊化したチャンピオンに新たに始まったさいとうたかをのユーモア探偵もの活劇、「がらがら」という漫画が、当時、僕は好きでした。69年頃当時の少年チャンピオンはホント良かったですねえ。

お次は「少年キング」。古いです。昔は、週刊漫画誌といえばこの三誌、「マガジン」「サンデー」「キング」。後発の「キング」が売れ行きではちょっと他二誌に比べて劣っていたかも。でも「少年キング」のファンの子供達も当時は多かった。まだまだ漫画誌といえば別冊付録のいっぱい着いた月刊誌の時代に、月刊誌「少年画報」のところから、63年に初創刊、少年マガジンと少年サンデーの創刊が59年です。出遅れる事、4年。でもだいたい、この当時のサンデー、マガジン、キングの執筆陣は同じような漫画家達でしたね。週刊「少年キング」創刊から5号まで、当時幼少の僕は買って来て読みましたね。でも、その後はあんまし読んでないかなあ。どちらかというとマガジン、サンデーばかしを読んでいた。週刊少年キング創刊号というとね、漫画の布陣は、本元兄貴分「少年画報」の看板「0戦太郎」の兄弟漫画で、同じ辻なおき作画の「0戦はやと」、吉田竜夫作画「少年忍者部隊月光」とかで、少しして11号とか13号あたりから桑田次郎「キングロボ」とかが始まる。う~ん、さすがにワシも古過ぎて憶えておらんなあ。望月三起也「秘密探偵JA」とかはまだもうちょうっと後だしなあ。「ワイルド7」はまだまだ後の漫画です。この創刊号の二大戦記漫画「0戦はやと」と「月光」はすぐにTV放送される。「はやと」はアニメ、「月光」は実写で、ドラマの方は何故か現代劇になっていた。この頃、初期の「キング」には、藤子不二雄さんの「フータ君」なんて載っていたなあ。百万円貯蓄のために全国回る、旅もの愉快漫画。毎回扉に、それまでの貯蓄金額が掲示されてた。

いよいよ「少年ジャンプ」です。「少年ジャンプ」は歴史的に少年漫画誌の帝王ですよね。だって一時期は600万部が出てたんですよ。僕が子供の頃、「少年マガジン」が百万部突破したって大騒ぎしてたんですから。一週間に600万部出る雑誌ってものすごい事だと思います。少子化は進んで行ってるし、ゲームやケイタイ、パソコン等等、新たなホビーメディアが出て来て子供人気はそっちの方に行ってるし、もう後にも先にもこの少年ジャンプの打ち立てた記録を塗り替える事は、出来ないでしょう。だって、今、印刷漫画産業はジャパン少年少女漫画を輸出している時代ですからね。多分、国内ではもう伸ばしようがない。それは国内でもあらゆる年代に向けて、多種多様な漫画が送り出されているんでしょうが。漫画劇画の売り上げ伸び率アップはもう頭打ち状態ではないでしょうか?という気がする。だが、しかし、コミックス形態の単行本漫画では、累計売り上げが、「ナナ」の1600万部や「鋼の錬金術師」の1200万部、「バガボンド」が同じく1千何百万部、「静かなるドン」は確か3千万部を越えたのではないか、「名探偵コナン」や「ワンピース」だって1千万部を越えているという、怪物的売り上げ部数を打ち立てた漫画が、ざっと挙げてもこれだけあるし、まだまだこの数字に迫る漫画はたくさんあるだろう。今は漫画は雑誌が売れないでコミックス単行本で売れる時代だそうだけど。僕は別にこういう事に詳しい訳ではないので、はっきりした事は何も言えないのではあるが、やはり日本の漫画産業はまだまだ隆盛なのかも知れない。と、いうか、今は「メディアミックス」という形で売って行こうという時代ですね。要するに、一本のヒット漫画から他のメディアへとつないで行き、多彩な経済効果を上げて行くやり方。この今回の文、冒頭に書いている、「コミカライズ」というのもそうです。ヒット映画は漫画化して売る。ヒット漫画をTVドラマ(アニメ)化して、また漫画の販売部数を伸ばす。そこから今度はゲームへと行く。ゲームが売れれば次はキャラクター商品を売る。全て市場経済の中を回り、各方面で経済効果をあらわす。そうやって単なる趣味や娯楽が市場経済の中をめぐって、各所でお金を生んで行く。そうやって文化はアメリカ型市場経済の中で発展して行く。という感じですかね。少年ジャンプ誌内での競争システムの売れない漫画は即打ち切りの如く、金を稼ぎ出さない漫画はすぐに淘汰される。金を稼ぎ出さない文化はいつまでも日の目は見れない。



済みません、何だか話がどんどん違う方向に行ってしまった。こういう事を一人で考えてるのって、けっこう好きなもんで、つい。やはり、子供の頃、独り言をぶつぶつ言っていた「変わった子」の癖が抜けきらずに、一人、何でもない事柄をつい考え続けちゃう。まあ、子供の頃の僕は学業成績のてんでよろしくない、どちらかというとアタマの悪い「出来ない子」の方に寄せられていた子供でしたけど。子供の頃、いったい何考えていたんだろう?「超人ヒーロー」の事ばっかしか?まあ、馬鹿な子でしたからねえ。少年ジャンプの事、書かないといけないのだ。「少年ジャンプ」創刊号。「ジャンプ」は、それまで月刊漫画誌「日の丸」と「少年ブック」を出していた集英社の、マガジン、サンデー、キング、に続き、チャンピオンよりひとつ前に出した初週刊誌です。「日の丸」は僕がものごころついた頃に廃刊となり、「少年ブック」も当時の月刊誌6誌では売り上げは下の方だった。というか、6誌中6番目だったんじゃないのかなあ?という気もしてるんだけど。「少年ブック」の休刊(廃刊)はいつなんだろうか?67年か68年くらいかなあ。月刊誌「少年ブック」が事実上、隔週刊漫画誌「少年ジャンプ」に変身したようなもんだね。一、ニ年くらいしてジャンプは週刊誌化する。「ジャンプ」の場合は、当時の売れっ子豪華執筆陣で攻勢を掛けて来た「チャンピオン」とは違い、最初から新人で勝負を掛けて来ていたふしがある。事実、少年ジャンプ創刊号当時の看板に持って来たのは、新人、梅本さちおの「くじら大吾」だった。梅本も新人といっても既に貸本メディアで描いていた若者だったんだけれど。「少年ジャンプ」を大部数を売るメジャー漫画週刊誌に押し上げたのは、新人、永井豪の「ハレンチ学園」と新人、本宮ひろしの「男一匹ガキ大将」だしね。本宮も貸本業界で描いていた、当時は誰も知らないような若者。初期の「ジャンプ」では川崎のぼるの「男の条件」という、若き漫画家の卵の青春と生き様を描いた作品が好きだったね。これも梶原一騎作のストーリーだったけれど。やはり梶原イズム作品で、漫画業界で、自身の筋を通しぬく男の気概を持った硬骨漢の主人公を描いた、スポ根ではないが、やはり熱血漫画。途中から読んでいないから、後半どうなったか解らないんだけど。



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